受けがれるもの



 もとより霞んで頼りなかった聖龍石の光が深い闇の底へと沈み込み、見えなくなっていく。咄嗟にリュウガが手を伸ばそうとしたが、背後からシズクがものすごい力で引き戻していた。そのまま聖龍石を追っていたら、彼も闇の中へ引きずり込まれていたことだろう。

『リュウガ!』リュウガの中でサイガが叫んだ。『ヤツが来る、備えよっ』

 間を置かず、闇の奥深いところでキラリと何かが煌めく。

 光ではない。

 それは闇だ。光よりも眩く色濃く、魔創卵を取り巻いていた闇が渦を成して集束していく。聖龍石にかけられていた強固な封印が解かれたのだ。

「来る…!」ショウの呟きが震えた。

 オウキやベリアールをも含む皆が戦慄を意識したとき、集束した闇が爆ぜた。

 すさまじい瘴気をまとった衝撃波が飛来し、それはシズクが展開しようとした防護壁を薄氷のように粉砕して、全員をいとも容易く吹き飛ばす。

「うわあああぁっ」

 単なる衝撃波のはずなのに数度ほど地にバウンドをくらい、そしてサイガの力を宿しているにも関わらず腹の奥底まで届く打撃を受けたようにリュウガの意識が眩む。首を振って何とか繋ぎ止めた彼が顔を上げると、真っ黒い爆煙の向こうで白みを帯びた何かがざわめき、薄赤く光るのが見えた。

 あれは──? 腕でもなく脚にも見えぬそれを見極めようとリュウガが目を凝らしたとき、土煙を突き抜け、未だ起き上がれぬ彼に向かって金色の腕が襲い来た。

 ハッとする間もない。

「ぐぁっ!」

 それは凶悪な力でリュウガの首を掴み取っていた。

 ──が、彼にその感触があったのは一瞬だけだ。

 持ち上げられたと思った次の瞬間、異形の手はリュウガの身体から抜き取るようにしてサイガを引きずり出していた。

「サイガッ!」

 震電との合身形態に戻されたリュウガはすぐにそれを追おうとしたが、横から飛来した何かが彼を思いきり弾き飛ばし、石壁をぶち抜いて容赦なく叩き付ける。

 合身した状態でなければ、おそらく今の一撃は致命傷になったであろう。それを成したのはザワザワと蠢く白い触手の群れだった。脈打つように赤く発光しながら地を走り、うねり、そして。

『会いたかった……』

 その声に合わせるように、歓喜に打ち震える。

『会いたかったぞ、サイガ!!』

 その咆哮が魔創境を揺るがし、駆け抜けていった。

 サイガの首を掴み上げていたのは、今までに見たこともない巨躯を持つ金色の魔物。背からまるで翼のように触手の群れを生やした、神にも見紛う禍々しき魔王。

「マステリオン……ッ」サイガが、その名を口にした。

 しかし魔創卵に蓄積されたエネルギーすら自分のものとして生まれ変わったかつての魔王は、もはや単なる王ではない。

 魔神であった。

『ああ……サイガ。よくぞここまで御無事で来られた……』

 マステリオンは感嘆の吐息交じりにそう言いながら、もう片方の手で、宙吊りになったサイガの身体を抱き留めるように支えた。そうしてぬっと顔を寄せる。姿をよく見ようとするように。

『誰にも狩られず、誰にも傷付けられることなく私の前まで辿り着いたあなたを、私はこの上なく祝福しよう……』

 ──ぶつり。

 おぞましく鈍い音がした。リュウガはもちろん、ようやく衝撃波のダメージから起き上がりかけていた者たちがその光景に息をのみ、驚愕と恐怖に染まる。

 マステリオンの両手に生え揃った赤黒い大きな爪が、サイガの身体に突き立てられていた。何の前触れも余韻もなく、ゆっくりと抉るように、じわじわと潜り込むように──。

「あ、あぁ、が……ッ」

 潰れた声がサイガの口をつくと、マステリオンの機械的な目が愉悦を含んでスゥッと細くなる。

 腹を、背を、腕を、脚を、嬲るかのごとく突き破られる苦痛を強いられた上、喉まで塞がれた彼は悲鳴すら上げられない。己の身の丈ほどもある手に捕えられ逃れることもままならず、その身をマステリオンに蹂躙されていく。

「や……」リュウガの声が、身体が震えた。「やめろおおおぉぉぉぉ──っ!!」

 絶叫を上げて彼は飛翔した。邪魔をするなとばかりに襲い来る触手をことごとく二刀の刃で斬り裂き放電で焼き切って、サイガを包むその両手を圏内に捉える。

 あんなもの、一撃でぶった斬ってやる──!
 バキィン……高く乾いた音と共に、振るったリュウガの刃が砕け散っていた。これまでこの刃で数多の敵を圧倒してきたはずが何の手ごたえもなく、あっけなく。

「な──」

 まさか、と呆然としてしまった彼を、振るわれたマステリオンの尻尾が吹っ飛ばした。極めて硬質なそれで殴打された瞬間、身体のどこかで何かが折れる嫌な音がした。

「リュウガッ」

 墜落に等しく地に叩き付けられそうになったリュウガを、飛び込んできたタイガが受け止める。けれど殴打の衝撃はそれだけで吸収しきれず、タイガはリュウガの身体に弾かれるようにして薙ぎ倒され、二人まとめて地に転がった。

『うるさい蚊トンボどもだ』うんざりしたようにマステリオンが言った。『貴様らが騒がしいせいで、サイガの声がよく聞こえんではないか』

「ふ、ざけんな……っ」辛うじて起き上がったタイガが言った。「マジでベリアールと同族なのかよ……どんだけシュミ悪ィんだ……ッ」

『は、何とでも言うがいい』魔神はせせら笑った。『私はこの日、この時のためにこのかたをここへお呼びしたのだ』

「──は? 呼んだ?」

『血沸き肉躍る再会の時……誰にも邪魔はさせん!』

 左右から触手群が襲い来るこのとき、相手の言葉に引っかかりを覚えたタイガの反応が遅れた。

 彼が全身を捕えらればらばらに引きちぎられようかとしたとき、駆け抜けたオウキの槍の一振りがそれらを斬り裂く。タイガは一瞬遅れるものの飛び退いて難を逃れ、オウキもまた動けぬリュウガを抱えて退避した。

「サイガ様を、呼んだ?」意識が無いシズクを抱えたショウもまた、眉を寄せて言った。「どういうことだ!? おまえがサイガ様を呼んだって!?」

『知れたこと!』

 眼前に跳躍してきたオウキの一撃を巨体に似合わぬ俊敏さで跳びかわし、マステリオンはズズンと地響きを立てて着地する。

『私が復活するこの瞬間を、このかたと共に迎えたいがため! 千年前に私を打ち倒した、忌まわしくも美しいこの光龍の力をも取り込んで、この日、私は真なる無敵の覇者となる!』

「そうはさせんぞ、マステリオン!」

 聞き覚えのあるその声は、マステリオンの背後から響いた。

 魔神が振り向くより早く、空間を渡ってきたベリアールがその頭に渾身の一撃を叩き込む。

 ゴゴォン。地鳴りをも伴った衝撃が土埃を吹き上げ、マステリオンの手からサイガが宙に投げ出される。ベリアールは即座に飛翔し、その身体を抱き留め……ようとした。

『ベリアール! 私のサイガに触れるなあああァァァッ!!』

 もうもうと立ちのぼる塵を切り裂き、怒声とともに剛腕と触手の群れが飛来する。必死とも、あるいは決死ともとれる猛進に、サイガに気を取られていたベリアールが痛烈な殴打を喰らって石壁にぶち込まれる。

 そしてサイガを受け止めたのは、細く尖り硬化した触手らの洗礼だった。やつらは狙いすまして致命傷を避け、頭を除いた全身の至るところを串刺しにする。

 ああああああああああぁぁぁぁ──!! 喉を裂くばかりの悲鳴に合わせ、白い触手らが瞬く間に溢れ出た血に染まった。

「サイガ殿……ッ!」

『貴様ごとき下郎がサイガに触れようなど、身の程を知れェ!!』

 千年前からとことん気に入らぬ部下であったベリアールの姿を認め、怒髪天を衝いたマステリオンは彼を集中的に追い始めた。

 こうなってはサイガを助けるどころではない。ベリアールは神殿の崩壊も気に留めぬ触手の猛攻を掻い潜って飛びまわり、小さな隙も逃さぬ拳の襲来を強靭な防護壁で受け止める。そうして正面からの攻撃を何とか凌いだかに見えた彼に、左右と背後から触手が迫った。

 ザンッ。オウキが旋回させた槍の刃が、続いて撃たれた衝撃波がそれらを細切れにすると同時に打ち払う。ベリアールは障壁を解除すると、マステリオンの拳を受け流すように後方へ下がって勢いを吸収し、退避という形で跳躍した。

「どういうことなのだ、ベリアール殿」今一度構えを改め、オウキが言った。「マステリオンがサイガ様を呼んだというのは、どういう意味だ」

「聞いたままだよオウキ」魔力の循環を高め、自身を囲む結界を再構成しながらベリアールは言った。「おまえたちは気付いていまいが、あのサイガ殿は、厳密に言えばサイガ殿ではない」

「──なに?」

「あれは、『あるもの』に宿ったあのかたの心の欠片」ベリアールはずばりと言った。「過去のサイガ殿より強制的に分離され、マステリオンの意思によって望まぬ再構築を強いられた、今は亡き過去の幻影なのだ」


 オウキがいまひとつ言葉の意味を理解しきれず絶句したとき、彼らのずっと背後でリュウガの吼える声がした。

「うああぁぁぁぁ───っ!!」

 そんなこと知るかと言わんばかりに彼はオウキにもベリアールにも構わず跳躍し、先ほどまったく歯が立たなかった刃を再び召喚して触手群の先に捕らわれたサイガを目指した。

 サイガを護るかのように白い触手らが網を作り強靭な壁と化すのを紙屑のように斬り捨てて突き破り、今こそ手が届かんとしたところへ割り込むマステリオンの眉間に、雷撃を帯びた切っ先を叩き込む。

「サイガを返せぇぇぇッ!!」

 バチィィィッ。リュウガと震電の意志力が武器の力を高めるのか、激突した刃が砕けることはなかった。ありったけの魔力をつぎ込んだ電撃がそこら構わず弾け散り、眩い光をまき散らす。

 だが当のマステリオンは、目を細めてそんなリュウガをせせら嗤うだけだ。

『愚かだな』

「なんだと!?」

『愚かだよ、聖龍の末裔。敵わぬと知りながら、何故、尚も挑もうとする? 万に一つの可能性に賭けようなどと、神頼みにも等しい愚考だと解らんのか?』

「そんなことはないっ!」リュウガは断じた。「オレたちは今まで一緒に戦ってきたんだ、どんな敵にも負けなかった! おまえにだって負けはしない!!」

『……サイガの力があれば、か?』

「──え」

 ほんの一瞬、リュウガに動揺が走る。そんな彼を殴り飛ばそうと金色の腕が迫ったとき、そこに飛び込んだのはオウキとタイガ、そしてシズクだった。シズクが魔力を結集して氷結の盾を形成しマステリオンの拳を押し留めると、タイガの爪の一閃が赤黒い爪をまとめてへし折り、続くオウキの斬撃が手首を斬り飛ばしていた。

 シズクは次の瞬間を見逃していない。分離した身体の一部が再結成する可能性を考慮し、切断したマステリオンの手首を瞬く間に氷で包むと「散」の掛け声と共に四散させる。

「行って、リュウガ!!」

 腕を失いマステリオンが怯んでいるこの瞬間をおいて、他の機会などない。シズクに喝を入れられ、我にかえったリュウガは飛翔した。

「サイガ──ッ!!」

 その身体から発せられたすさまじい放電が、サイガを戒めた触手らを焼き切る。溢れて零れ落ちてくる水をそうするように彼を受け止めたとき、不意にリュウガの心はひどくざわめいた。

 サイガの身体は羽根ほどにも軽かった。まるで──まるでそう、死体のように──。

「リュウガ、こっちです!」離れたところからショウの呼ぶ声がした。

 シズクがマステリオンを取り押さえている今ならば、サイガを回復して態勢を整えることができるだろう。大丈夫、大丈夫だ、オレたちはまだやれる──リュウガは両手の震えを握り潰し、仲間のもとへ着地した。

「ショウ、すぐに回復を──」

「……必要、ないよ」

 短い息を吐き、サイガが小さく言った。体温を失いつつある、冷たい息だ。

「どうせ効きはせぬ。俺は……ヒトの身ではないのだから」

「何を言われるのです、サイガ様っ」ショウは魔力を充填した癒しの手を、サイガの傷に押し当てた。「こんな傷、すぐにでも……っ」

 旅のさなか、サイガに教えを受けた彼の回復術は飛躍的に威力を上昇させている。致死にも及ぼうかというシズクの傷だって完全に癒せたのだ、多少の時間はかかるかもしれないが、サイガの傷だって──。

 しかし、そんな必死のショウの表情に違和感が生まれる。息をのむ彼の手が、震えた。

 様子を見ていたリュウガもまた然りだった。

 傷が癒えない。

 魔法が──効かない。

「リュウガ」サイガが言った。「すまんな」

「やめろっ!」リュウガは声が裏返るのも気にしないで、咄嗟に叫んでいた。

 やめろ、やめろ。そういうことを言うな。だいたい何を謝ってるんだ。死に際に全部白状して言い逃げるみたいな、そんな言葉は聞きたくない──。

 そんなリュウガの泣き出しそうな想いを察したか、サイガは小さく笑った。静かに目を閉じるその身体が、淡く金色に発光する。

「サイガ……ッ」

 リュウガの腕の中で、サイガの身体が無数の光の粒となって弾けた。

 マステリオンのそれとは違った黄金色の光が周囲に溢れ、満たしていく。

 その生まれ出ずる中心は、リュウガの手中──。

「これが……」ショウが呆然と言った。「これが、サイガ様の『正体』……?」

 黄金に輝く、七つの子を宿したエネルギー体の刀身。汲めど溢れど尽きることのない、永劫の神力を約束した聖龍石……それは、かつての戦いでマステリオンを打ち倒し、その後も光龍帝サイガが愛用したとされる神剣・光牙七支刀だった。

 その真なる姿を見たとき、リュウガの中で様々なことが腑に落ちた。

 どうして、サイガ自身が戦えなかったのか。

 どうして、戦ってもまともな戦力にならなかったのか。

 どうして、自分と合身紛いのことをしなければならなかったのか。

 答えはすべて、このサイガ自身が『力』そのものだったからなのだ。

 『力』はそれだけでは何者にもなれないし、何事もできない。己を揮う者に出会えて初めて、敵を倒し時代を切り拓く真価を発揮することができる。

 だから、リュウガが必要だったのだ。

 意を決し、手を伸ばして柄を握ると、七支刀に宿っていた光が待っていたようにリュウガへ移り、彼を新たなステージへ引き上げる。

『「俺」を使え』サイガの声がした。『今こそおまえに……おまえたちに、究極の光を授けよう……』


 眩い光の奔流の中で、リュウガは思った。

 オレは今まで、ずっとサイガを『目的』にしてきた。

 守りたかった。

 傍に居たかった。

 オウキが離脱してしまった時でさえ、チームの混迷よりサイガに敵の手が及ぶことを恐れて、がむしゃらになってた。

 そして今まで、ずっとサイガに頼りきりだった。

 万一のことがあっても、本当にいざとなればあの力があるからと、どこかで安心しながら戦ってきた。マステリオンにはっきり問い質されて手が停まってしまったのはそのせいだ。

 でも、今は違う。

(オレたちは、ひとつだ)

 サイガがここを目指した意味を、共にここまで来てくれた意味を、無駄にはしない──。

 リュウガは目を開き、巨大にそびえる山ほどの巨躯を見据えた。

 身構え、振るった七支刀が光の軌跡を描いて低く唸る。

「絶対に勝つ!」リュウガは叫んだ。「この七支刀に誓って、必ずだ!!」




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