GET LIMIT an epilogue
オーブの空は快晴だ。
「急な話だね、プラントへ帰るなんて」
庁舎の屋上でそよそよと優しい風に吹かれながらキラが言った。そんな彼のブラウンの髪が風に揺れるのを、正面でマジメな顔をして見ているのはイザークだ。
「本当なら姫たちの回復を待ってから…と思っていたんだが」 イザークは軽く、自分の鼻先を掻いた。「先日、隊の部下に連絡を取ったら、早く帰ってきてくれと泣きつかれた…」
くすくすとキラが笑う。
「笑い事じゃないぞ、姫っ」 イザークは少し焦った。「俺の留守も満足に守れんとは、不甲斐ないにも程があるっ」
「いいじゃない、もう三年か四年くらい留守にしてるんだよ? そろそろ帰ってあげなくちゃ」
思わずイザークは言葉に詰まる。それほど長く留守にしたつもりはなかったのに、今キラに正確な年数を言われて少し気が遠くなった。
「ディアッカも一緒に?」 キラが尋ねた。
「…ああ。いないよりはマシだからな」
「そんな言い方…」 またくすくすと笑う。
さぁ、と風が吹く。あたたかい風だ。
「…姫」
勇気を出して、呼びかける。明らかに普段とは違う声色になってしまって、キラもそれには気付いたようで、少し身構えるような顔つきになった。
「この数年間、貴様と過ごせてよかったと思っている」
「…うん」
「これからは、アスランと?」 中途半端なところで切ってしまう。
「…うん」 うっすらと笑みを浮かべてキラは頷く。「とりあえず力が消えるまで。…そしたら、そのあともずっと」
イザークは少し押し黙った。その間に、何度か風が吹いた。
「姫」 また呼ぶ。
「うん」 答える。
「幸せに、…なってくれ」 願う。
「うん。──必ず」
頷きながら、キラはイザークの言葉を噛み締めるように答えた。
と、キラがすっと右手を差し出してきた。視線を上げるイザークの目に、もはや見慣れた微笑みが映る。
「今まで、本当にありがとう」 キラは言った。「イザークには、本当に…何度も助けてもらって、守ってもらったから…」
ぱしんっ。握手を求めてさし伸ばしていたキラの手が叩かれた。
思わずキラは唖然とする。
「これで終わりみたいに言うな」 イザークは言った。「俺は、貴様とはこれで終わりだとは思っていない」
キラは黙って、そんなことを言う相手の顔を見ている。
「いいか、姫」 ビッとキラの鼻先に指を突きつけてイザークは言う。「もしアスランとケンカしたら、すぐプラントへ連絡して来いっ。そのときは俺があいつの頭ぶん殴ってやるっ」
キラはきょとんとした。
そして、間を置かずに吹き出して笑い出す。
「笑うなっ、俺は本気だぞ!」 イザークは焦った。
「うんっ…」 キラは肩を震わせて頷く。「そうだよね。君には、これからもずっと…ずっと助けてもらわなきゃいけないね」
「わかればいい」
ひとつ大きく息を吐いたイザークが、改めて右手を差し出した。
「貴様の力を失って、貴様との繋がりが感じられなくなっても…俺は、貴様とは『切れる』ことはない。──だから、これからもよろしくたのむ」
「…うん。こちらこそ」
今度こそ、二人はしっかりと握手を交し合った。
オーブ宇宙港の総合ゲートにはデュランダルの姿があった。レイ、イザーク、ディアッカを伴ってプラント行きのシャトルに乗る彼を、カガリを筆頭に戦友と化した者たちが集まって見送ろうとしている。
「できることなら、もう少しオーブに滞在させて頂きたいところなのですが」
カガリと向かい合ったデュランダルは本当に残念そうに言った。
ここに滞在した時間は、彼にとってはこの上ない楽しい時間だったのだろう。プラントでただ仕事をしているだけで決して巡り合えない同じ超能力者たちと、勝手知ったる深い話をすることができた時間なのだから。
「議長は、こういうところは本当に子供のようだな」 カガリは肩を竦めた。「またご連絡を差し上げる、と何度も申し上げている。今はプラントへ戻り、あなたは、ご自身が留守にされた間の政治をこなしてきて頂きたい」
「…判っております」
自分の娘ほども年下の少女に子供扱いされたデュランダルが、たまらず苦笑いを浮かべる。どうやら妙に子供っぽい自分の性質はよく知っているらしく、そういう扱いは…などと注意を促すようなことを言わない。
そんなデュランダルの背後から、赤をまとったレイが歩み出た。
「アスラン。シンのこと…本当にありがとうございました」 彼は言った。
カガリの背後に控えていたアスランは、今はサングラスをしていない目を細めて笑う。
「その当人はどこへ行ったんだ?」
ビシッと白を着込んだイザークが辺りを見回した。皆もつられてその姿を捜してみるが、それらしい影はどこにも見えない。
「別所で待機しております」 すかさずレイが言った。「別れはつらいから、と」
「それにしても」 デュランダルが言った。「本当に、このままオーブで生活していくのかね?」
そんなことを問う彼の目は、アスランの横に立ってるキラを見ていた。
「はい…」 キラは照れくさそうに笑った。
このデュランダルが、この一件が解決した暁には、プラントにおいてキラやアスラン、ラクスなどのコーディネイターサイドの者たちの居住の面倒を見る、ということをアスランに話していたのは知っている。だがその上でキラは、今まで通りオーブで生活していく道を選んだ。
自分たちのせいで、今までにもカガリがオーブ政府内で肩身の狭い思いをさせられていることも知っているのだが、それでも。
「これから、プラントとオーブは協定して、ナチュラルとコーディネイターの共存を、呼びかけていくんでしょう?」
キラが尋ねると、デュランダルは頷いて返す。もちろんだ、と力強い返事までつけて。
「…本当に平和な世界でなら、どこに住んでも同じです」
皆が、そう言ったキラを見た。
カガリとラクスが顔を合わせて笑みを交わし、イザークとディアッカはそれぞれで肩を竦めたりして。
「ああ…」 デュランダルは頷いた。「その通りだな」
「議長。そろそろ搭乗をお願いします」
レイに促されながら、ああ、と頷き、彼はカガリの前へ最後の一歩を踏み出す。
「アスハ代表。これからが本当に大変ですよ」
「…わかっているさ」
カガリは笑っていなかった。笑おうとしたのかもしれない。少しいびつな、覚悟の固まりきらない表情がうつむく。
だが、そんな彼女に反してデュランダルはにっこりと笑みを浮かべると、すっと右手を差し出して見せた。
「もし本当にお辛くなって、おひとりでは無理だと感じられたら…必ず、私があなたの助けになりましょう」
「な、なんなんだ、いきなり」
「なぁに」 彼は肩を竦めた。「人生にはパートナーが必要だろうなぁ、と思いましてね」
思わずアスランの表情が引きつる。
もとより握手を求めたのではなかった手を引き、デュランダルはぺこりと頭を下げた。
「それでは。ご連絡をお待ちしておりますよ」
アスランはその背をただ見ていることしかできない。唯一の理解者からの激しい戸惑いの視線を受けながら、彼はひょうひょうと笑って搭乗口へと消えていった。
ごぉ、と空気が振動してシャトルが遠い空へと消えていく。情報操作は完璧で、極秘裏に行なわれた出立だったから、どこからか飛んできた戦闘機がそれを撃ち落とす、などという最悪の事態は起こらない。
ターミナルの屋上で、高いフェンスの前に立ちながらアスランはつい溜息を吐く。
「…議長は本気なんだろうか」
「なにが?」
横に立つキラが言った。
「いや……」
彼は深く項垂れる。まだ完全に問題が解決するのは先の話のようだ。
オーブ政府関係者がまとめて惨殺されたという最悪の事態は回復していないし、そうなればデュランダルも帰国した今、もっともつらい思いをするのはカガリに他ならない。
キラがプラントへ渡ることを拒否したのは、わずかでもそんな彼女の助けになるためだ──それが判っていたから、アスランもラクスも、同じ思いで相手国の申し出を断ったのだ。
カガリは彼らが政治に携わることを快く思わない。だが今はそんなことを言っている場合ではない。
「デュランダルさんの手が必要になるの、時間の問題じゃない?」
キラはとんでもないことを言い出す。
「不吉なことを言うなっ」 アスランは思わず抗議した。
「え、何が不吉?」 キラはきょとんとした。「カガリにはまだ、先導してくれる経験者が必要だと思うよ」
アスランはもう何も言う気になれなかった。多少なり解釈の取り違いはあるが、キラが言っていることは間違っていない。いくら政治の何たるかを知っているアスランでも、実際に政治を行なうカガリの助けになれるとは思っていない。
だがデュランダルの言葉はそれを飛び越えている。問題はそこなのに、このキラときたら、目前の政治的問題しか見えていない。もっと先にあるカガリの人生的問題なんてどうでもいい、というのではないにしても。
「でも、よかった」 キラは言った。「まだ全部じゃないけど……ちゃんと、終わって」
アスランはキラを見た。キラはシャトルが飛び去った空の、その名残りを眺めている。ほんの数日前の決着だったのに、それがもう遠い過去のような目をして。
「キラ…」
隣で呼びかけてくる相手にキラは顔を向けた。ふっと微笑み、向き直る。
「ありがとう…ここまで、ずっと一緒にいてくれて」
アスランは何も言わなかった。
回りくどいだけの言葉なんて今はいらない、それがよく判っていたから。それ以前に、何を言えばいいのか判らなかったから。どんな言葉も、今の彼らの感情を示すには不足している。
かろうじて感謝だけが形になったけれど。
まだすべてが終わったわけではない。キラの力が消えるまで──いや、認識外に弱まるまで、あとどのくらいの時を要するのかは見当もつかないのだ。その間は『影』だって襲ってくるに決まっているし、また『あれ』と呼ばれるような存在が現れないとも限らない。キラの影響を受けた超能力者も次々と誕生するだろう。
課題は山積みだ。あれだけ大きな事件を起こしてしまった以上、もう『向こう』で生活していくこともできないのだ。これからはこのオーブで『影』たちとの戦いの日々が待っている。
気が遠くなるような、長い戦いの日々が。
「シンのことはよかったのか?」 アスランは不意にたずねた。「…最後に、会わなくて」
「……うん…」
キラはすこし顔を伏せた。今までは禁断の言葉であったその名前を聞いても、彼はもう取り乱したりショックを受けたりはしなかった。
小さく息を吐き、キラは苦笑いを浮かべてぽりぽりと頬を掻いた。
「本当は、会って話をしたかったけど…彼はザフトの軍人だし。デュランダルさんとか、レイとか…そっちの人たちと、ちゃんと話をしなきゃいけなかったじゃない? せっかくプラントに戻れるのに、邪魔しちゃ悪いかなって」
キラは、闇の球体に閉じ込められていたときのことを何度も話した。つらい、痛い記憶はそうやって少しずつ消化していくのがいいと思って、アスランは何度でもその話に応じた。
キラという、様々な面、時、時代が作り上げた至高の存在を求めて止まない深い声が聞こえたのだと。
深い場所から伸びてきた意思のない手がキラを構成するあらゆるものを手にしようと襲ってきたのだと。
肉を掴んでえぐり、満足し。血を浴び、満足し。機械翼の一部をへし折って持っていき、満足し──。
想像するのもいやになるようなことを、このキラはあそこで経験してきた。それでよくここまでまともな精神を保っているものだと、アスランは心底から感心したものだ。
そんな終わらない悪夢の手から、眩しい光でキラを救い出したのがシンだったのだ。
彼にどんな意識変化が起こったのかは判らない。だが天から降りてきた彼の、ピンと展開されたあの光の翼が放っていた神々しいほどの輝きが、もう彼の心に一点の闇も存在しないことを知らしめていた。
シンは最初から、敵などというものではなかった。
ただ考え方が、世界観が違っていただけの確かな仲間──。
「キラ。──ここからは俺の役目だ」
相手がはっきりと口にした言葉に、キラの表情に変化が浮かんだ。
照れくさそうに笑い、ひとつ頷いて見せる。
そうだ、キラを闇から救うという仕事はシンがまっとうした。そのあとは俺の仕事だ。このキラを、俺が闇から解放するんだ──。
アスランが伸ばす腕がキラの身を包む。
キラは黙って大人しくそれに身を委ねた。
確かにここにある存在を改めて強く抱きしめて、実感して、頬にキスをする。
何も終わっていないと言ってもいいのかもしれない。だがそれでも、ひとつの大きな区切りを越えることができた。仲間内から誰ひとり欠くこともなく、多大な損傷こそ残ったものの、それでもひとつの出来事が終わって、自分たちにも変化の節目が訪れた。
本当にすべてが終わるまでは長いだろう。だが長くても、このキラとならどこまでも歩いていける。ともに戦っていける。確かな気持ちを交し合えた俺たちなら、どこへでも──。
と、そこで、アスランの視界の隅で何かが動いた。
ごっ。直後、頭をブン殴られたような強烈な衝撃が走る。
「あ…っ」 キラが思わず、といった感じで引きつった声をあげた。
アスランはその衝撃に追いやられるままにすっ転んだ。自分が転倒する音に続いて、誰かがコンクリートに着地する靴の音がする。いったい何事かと身を起こしたアスランの目に飛び込んできたのは──。
シンの、姿だった。
「…なっ!」
「ちょっと誰もいなくなったらすぐコレだ、あんたたちを二人きりになんて、危なっかしくてできるかよ」
たまらずアスランが絶句する前で、さも当然のようにシンは言う。
今さきほど受けたあの衝撃は、このシンに膝蹴りをぶちかまされたせいなのだと理解できた。
「ど、どうしてっ?」
キラが未だ引きつりながらシンを指さして震えている。
デュランダルと同じシャトルに乗ってプラントへ帰ったはずではなかったのか──。
「おれはプラントになんて帰りませんよ」 シンはすっぱりと言った。「だってキラの傍にいるんですから」
思わずアスランも遅れながら自分の顔が引きつるのを感じた。自分とキラに対して言葉を使い分ける、この生意気なガキに。
シンは嬉しそうにキラに近寄っていく。
「議長から聞きました。おれたちの力って、愛情を感じることで弱くなっていくんでしょう?」
「う、うん…?」 キラの返答は少し曖昧だ。確実にではないのだから当然だが。
それを聞いてシンは、これまでキラに向けてきた憎悪と固執の感情などさっぱり忘れたようにきらきらと目を輝かせ、ずいと身を乗り出した。
「だったらおれもキラの傍にいようと思ったんですっ。──あのとき、おれとキラが閉じ込められてたってのに助けにも来なかったやつには無理ですよ、やっぱりコレもおれの役目です」
今度こそアスランは開いた口が塞がらなくなった。多少なり事情があるにしても本当の話なのだから下手な言い訳もできない。
そしてへんなことを思い出す。ターミナルの搭乗口前でレイは確かに言った。
『シンは別所で待機している』と。
そんな言い方をされれば、そのときは誰もが、シンはシャトルで待機しているのだと思うに決まっている。だがレイは『シャトルで』とは言わず、あくまでも『別所』と言った。そこは、何も『シャトル』だけに限定される場所ではない。
早い話が、レイはあらゆる意味でシンの味方だったのだ。
「ね、キラッ。街に出ましょうよ」
うきうきと弾む声で言いながら、シンはキラの手をとってぐいと引っ張る。かつての悲劇の街、在りし日の記憶が残る街に出ることは、新しい観点を得たシンにはもう苦痛だけではない。
引っ張られるままにキラはアワワワと歩き出す。慌てた様子でアスランを振り返って、そして予想だにしないことを言った。
「ご、ごめんアスランッ。母さんたちには遅くなるって言っといてっ」
「はぁっ?」 つい大きな声が出てしまう。
シンは颯爽とキラを連れてターミナルの中へ入っていく。キラも、多少なり戸惑いはしているがそれを拒むふうはまったくない。すぐに二人の姿は、建物内をうろつく人間たちの中に紛れて──。
……いや。いやいやいや。今は、決して見送っている場合ではない。
「ちょっ、ちょっと待ておまえたちっ!」
あの二人を二人きりにすることのほうがよっぽど危ない。アスランは慌てて立ち上がると、二人が通り抜けたばかりの扉へと走って行った。
──本当に、これからが大変なようである。
F I N (2005/10/16)