舞姫


「エドガー様、お誕生日おめでとうございます」

 獣牙廷の大広間で、女が声も高らかに祝辞を述べた。

 それを合図にしてそこに集まった大勢の者たちが手にしたグラスを上げる。飛天、鎧羅、聖龍、四部族のたくさんの者が集まって獣牙の王子の生誕日を祝う。全ての部族で忙しなく行なわれる盛大な祭りが今夜も催されていた。

 大人たちが酒を飲み、通常ではなかなか交わせない会話をする。子供の姿はほとんどない。いるとすれば王たちが連れてきた自分の子供たちと、この祭りの主役であるはずのエドガーだけだ。

 つまんねェ──。自分の誕生日を、大人たちの交流の場を作る口実にされたむかつきも手伝って、エドガーは終始仏頂面で壇上に座り込んでいた。無論、何人かあちこちからエドガーに直接祝辞を献上にくる者もいたが、本当にごくわずかでしかない。

 退屈で退屈で仕方なくて、あくびを噛み殺しては時の経過を待つ。これほど苦痛な時間はない。

  エドガーがいなくなるとこの祭りはただの集会となってしまう、それでは意味がないと言われて、父親からはその席を動くなとまで釘を刺された。正直なところ クソオヤジの言うことなんて聞く筋合いはなかったのだが、これだけの人数が集まるこの雰囲気に自分の退席で水をさすにも気まずくて彼はずっと黙っている。

 ここでぱーっと、何か面白いことでもあればいいのに──。

 何度目かの溜息を吐いたとき、観衆の中でオーッと小さなざわめきが広がった。いったい何が起きたのかと視線をやって、エドガーもオッと思った。

 ぞろぞろと集まった民衆が二つに割れて、そこからひとりの子供が歩み出てきた。高く結った長い髪から突き出た角は聖龍の者の証だ。彼は己の青い髪に非常によく似合う白の演装束をなびかせて、エドガーが座っている目の前まで来て足を止めた。

「我が子息、サイガにございます」

 集団の輪の中から聖龍王が言った。紹介を受けた子供、サイガがすっと目を閉じてその場に片膝をつく。頭を下げると、子供特有の柔らかな髪が肩を滑り落ちて垂れた。

「本日はエドガー王子の御誕生日、せん越ながら我が子が祝いの舞をご披露致します次第」

 聖龍王の言葉を的確な合図にしてサイガは立ち上がる。よくできた人形みたいだとエドガーは思った。それが第一印象だ。

 これからどんなものが披露されるのか、民衆が興味の眼差しで見守る中、広間の中央で彼はすっと腕を上げた。


 ──シャンッ!

 波を打つように振るわれた腕の先で、手首に付けられた装飾の腕輪が涼やかな音を立てた。まるでそれが神の一声であったように場内が一斉に静まり返り、エドガーの息が止まる。

 腕を、脚を駆使し、まとう装束の飾り帯を振りかざした、視界いっぱいに行き届くほどの大振りな舞が始まった。

  女性の舞手には決してない、しかし子供とは到底思えない力強さが展開された。一歩を踏むごとに金属の装飾が鈴にも負けない高らかな音色を響かせ、彼が身を ひるがえせば、恐ろしいほどの存在感を持った青い髪が同じ軌跡を描いて流れていく。今までに飽きるほど獣牙の踊り子を見てきたエドガーだったが、見知らぬ 異国の見知らぬ舞に思考さえ止められた。

 心がザワリと騒ぐ。場内が静かであればあるほどエドガーは自分の内側で広がっていく雑音を意識せざるを得なくなる。小さな波紋はやがて広がって大きくなっていく。

 なんだこれ──。悪い方面の焦燥感にも似た何かを感じて、エドガーは自分の胸元の布をぐっと握り締めた。金縛りに遭いながら、眼前で舞う少年に視線をやる。

 と、そのときサイガとエドガーの間で視線がぶつかった。エドガーがギクリとしたのは束の間で、彼の目はすぐに己の目の前へ向けられる。

  あかい瞳だ。どんな宝玉にもない瑞々しさを帯びた緋を、細く鋭い黒が貫く目。まさにそれが至宝であるように感じられたその瞳と視線が合うたび、エドガーは 頭がおかしくなりそうだった。素晴らしいというのでなければ、美しいというのでもない。どんな言葉も似合わない、何を考えても違う。表現の限界を超える現 実がここにあった。

 伸ばした腕から中空に飾り帯が舞い出る。肩を使って波を起こせば軌道を変えて、流れが間に合わずにいっそ身体に絡み付くのではないかと思えるのに、色鮮やかなそれらは偶然であってさえサイガの身を束縛することを嫌う意思を持つように伸び、宙に漂う。

 エドガーがそうであるように、広場に集まった者たちまでもが言葉も時間も忘れて見入る中で、ひとり聖龍王がどうだと言わんばかりの表情をしている。

 やがて大きく歩を踏んだサイガがその場に腰を落とした。脚は揃い、腕は指の先まですらりと伸び、その姿勢で静止した彼を追うようにフワリと飾り帯と長い髪が舞い降りてくる。何の音もしなくなったそこに、耳が痛くなる沈黙が落ちた。それがフィニッシュだった。

 シーンとした場内でサイガがすっと立ち上がる。その足首でチャラリと金属が音を立てると、それを合図にして皆の意識が戻ってきた。

 ワーッ。惜しみない歓声と拍手が送られる。

 サイガはいまだ固まっているエドガーに向かって、ひとつ頭を下げた。

「いやぁ、さすがは聖龍でございます。繊細な舞であってもダイナミックで、素晴らしい。ぜひ我が子アレックスの折にも舞っていただきたいものですなぁ」

 飛天王が歩み出てきてしきりに感動している。聖龍王も無論悪い気はしないらしく嬉しそうにその話に応じている。これで翌年は飛天宮でもこの舞が見られるのは確実だろう。飛天の王子アレックスも、ひょっしたらこの舞手の虜になってしまうかもしれない。

 呆然としていたエドガーがふと我に返ってみると、サイガはそんな親たちの方を見ていた。てっきり役目が終わればさっさと戻っていくものと思っていたが、彼は腰に手などあてて溜息混じりだ。それも、まるで王が、融通の利かない自分の部下を見るような目をして。

 サイガがエドガーの視線に気付いた。エドガーはこのときの自分がどんな顔をしているのか見当もつかなかったが、彼は何だか恥ずかしそうに笑った。

「ひさしぶりに本気になったら疲れてしまったよ。──おまえも、いつまで呆けておるつもりだ?」

 首を傾げて、彼はそんなことを言った。思わず表情が崩れるのを感じる。親とでさえロクに口を利かない機械人形みたいなガキかと思いきや、その実態はとんだ無礼者だった。

「…おまえ、こんな場所でそんなクチ利くのかよ」

「おやおや、それはお互い様だろう? おまえだって今、そういうクチを利いておろうに」

「うるせぇ。オレは今日の主役だからいいんだよ」

「よう言いよるわ。俺にはとても、おまえがこの祭りの主役のようには見えんがな」

 ああ言えばこう言う奴って、本当に居るんだな──。エドガーは自分の目元が引きつっているような気がした。そして相手が続けて何も言い返さないのを見て、サイガはまた笑った。

「俺の舞は退屈しのぎになったようだな? さっきまでは暇で死にそうだ、と顔に書いてあったが」

「……テメェ、オレの退屈しのぎのためにわざわざマジで舞ったのか?」

「国の祭事ほど暇なことはなかろう。俺も同じ立場ゆえ、ようわかるよ」

「………サイガっつったな」

「おう、なんだエドガー」

 エドガーはすっくと立ち上がると、クソ生意気な聖龍の王子へ向かって歩いていった。

 自分の前に立った相手を見てもサイガが動じる様子は全くない。エドガーに敬意を払っているふうもなければ、自分の立場をわきまえているようにも見えない。神経が図太いのか、それとも傲慢なのかよく判らない。

 だがこのエドガーは、変に媚びたり礼儀に凝り固まった連中が大嫌いだった。だからこんなサイガの態度がとても心地好かった。

 こいつだ、とエドガーは思った。立場や目線が同じで、会話のレベルも近い奴。頭はいいだろうがそれを前面に出そうとはしない奴。自分の実力を把握して、その発揮を自力で制御できる奴。それは獣牙の誰でもなかったのだ。

「もう一回舞えよ」

 エドガーは言った。サイガはきょとんとして、そんなことを言った相手を見つめる。

「今度は俺だけのためにな」

「──ああ、今日の主役がそう望むならな」

 サイガは悪戯好きな子供の顔で笑う。

 二人はそのまま広場を立ち去っていく。誰もが大人の会話に夢中になる中、堂々と脱走していく王子二人に注目している者は、だれもいなかった。


                             END(2005/06/26