光の



 大魔界の地を渡ってくる風は乾いた瘴気を含んで冷たく、表層に過ぎぬ魔界のそれとは一線を画するものであった。

 六人衆、テスタロス、トランプ4、そして三巨頭──度重なる強大な力を持つ敵との否応ない連戦により、重度に疲弊した光の戦士らがようやくその身を落ち着かせたのは、そんな大魔界の中核を成す幻魔宮殿だった。

 中央都市の皇帝宮にも匹敵する品格を持った造りと内装を持つそこへ迎えられた日、彼らは揃いも揃って電池が切れたように倒れて意識を失った。今はそれぞれ用意された個室に運び込まれ、守護獣に守られながら、未だ覚めぬ深い眠りの中に在る。

 その中でひとり、健常を保っていたのはサイガだった。

 オウキという指導者を欠いたにもかかわらず、子供らは彼が健在であった頃以上の力をもってサイガを守り切ってくれたのである。

「……」

 宮殿の広い展望台に立つ彼の髪を、吹き渡る瘴気がさわりと浮かせて過ぎていく。暗い雷雲に閉ざされた空は重く垂れ込め、感じる閉塞感は魔界の比ではない。

 この広大な地をあまねく見渡してみるけれど、あの聖龍石が放つ微弱な波長はどこにも感じられない。ボーンマスターがまとう闇の気配が完全に遮断してしまっているのか、あるいはここより深い場所へ、すでに到達してしまっているのか──物事に対しては常に様々な事態を想定する質であるサイガの目が、最悪の事態をも予測して厳しく細められる。

 俺にも──。そのまま瞳を伏せ、サイガは小さく息を吐く。落胆するように。

 俺にも、戦うための力があったなら──。

「サイガ殿」

 ふと背後から呼びかけられ、サイガは振り向いた。

 そこには、見覚えのある皇魔の男がいる。

「ベリアール殿か」

 サイガは答えて向き直った。翼を持つにもかかわらず、わざわざ宮殿内の階段を使ってここへ至り、声をかけてきた律儀な男に。

 ふたりは互いに顔も存在もよく知っていたが、こうして個人として面と向かったのは数回目だ。サイガは彼に歩み寄って口を開いた。

「このたびの配慮、改めて礼を言おう。あの子らは、とうに限界を超えておった……貴殿が居らねばどうなっていたか」

「そのような御言葉を拝するほどのことではない」ベリアールは表情を変えず淡々と言った。「ボーンマスターの一派と我々は、以前よりマステリオンの復活を巡って対峙してきた。奴を阻止するために旅をするあなたがたは、言わば我らの同志。もてなすのは当然のことだ」

「フフ。かつて敵対した者らの親玉から、同志とまで呼ばれようとはな」

 可笑しくなってサイガは笑った。敵対どころか、むしろ不倶戴天の敵として殺し合った関係である皇魔だが、彼らにもいろいろあるらしい。

 確かにマステリオンの行ないを顧みれば、すべての皇魔が同じ性質であったならあっという間に魔界は壊滅しただろう。例えの対象としては間違っているかもしれないが、かつての四部族──そう、聖龍族だってサイガを支持する者ばかりではなかった。世は常に片側にのみ偏らず、『調和』を保つべく見えぬ力が働くもの。そう思えばこの構図にも何ら不思議はない。

「しかしだな」サイガは言った。「ここで会えたのが貴殿で良かったというのは本心だよ。千年という時を経る今となって尚、こうしてこの地を統治される貴殿には頭が下がるばかりだ」

「我ら皇魔とあなたがたは存在そのものが違う」ベリアールはさらりと言った。「千年など大した時間ではないよ」

「まあまあ、そう謙遜なさるな。ほら。素直に礼のひとつも言って、笑えぬか?」

「……」

 いたずらな笑み交じりでそう言われるものの、ベリアールは答えなかった。ただすこし、気まずそうに目を逸らしただけだ。そしておもむろに歩み出すとサイガを通り過ぎ、展望台の先端へ至る。

「時に、サイガ殿」ベリアールは言った。「その気配……もしや、あなたは──」

「言わずもがなだよ、ベリアール殿」

 隣へ歩み出てきたサイガは、相手の言葉を遮って言った。

「おっしゃるとおり、俺自身は戦えぬ。──されど、まだ戦う術は持っておる」

「……あの、リュウガという少年か」

「……」

「だがあの時、あなたは彼に応えなかった」

「……ああ」

 頷く──というより、わずかに俯いたサイガの表情に、濃い翳りがよぎった。


 三巨頭と戦ったとき、あまりの力の歴然さに、そして次々と薙ぎ倒される仲間を前に、リュウガはサイガを振り返った。あの日のような力を、『光』を授けてほしいと求めた。

 それはいざという時の切り札として、誰にも知らせず温存してあった手段であった。

 けれど、サイガは応じなかった。……否、応じることができなかった。

 自身を力として他者に宿らせるあの術法は、あの日のサイガが過去の経験から咄嗟に言霊を組み立てた、不完全かつ簡易的なものである。ゆえにどんな反作用が起こるかはサイガにも予測ができず、ましてあの時のリュウガのように極度に疲弊した者に使えば命の保証はできなかったのだ。

 言霊の配置を変えたり、あるいは新たな言葉を組み込んで見直しを行なってはいるものの、正式な完成と言うにはまだ遠い。太古の時代、神々が使った術を再現しようというのだから至難であるのは当然なのだが、厳しさと激しさを増す戦局に足して、ついにはオウキを欠如したことでさすがのサイガも焦り始めていた。

 俺自身が戦えたならば、このようなことは──。

「……」

 ベリアールは刹那、何も言わない。歯痒く拳を握る、かつての敵を見下ろすだけだ。

 そうして視線を彼方へ移し、言った。平静そのものの調子で。

「今のあなたは、足手まといなのではないか?」

 サイガは答えない。肯定などするはずもないが、違うとも言わなかった。

「ボーンマスターが聖龍石を奪取したことに関しては、奴を監視しきれなかった私にも責任の無い話ではない」ベリアールは続けた。「あの子供たちさえよいのなら、ここから先は私が彼らを先導しても構わない」

「貴殿が?」

「私ならばこの一帯を知り尽くしている、無駄な戦闘を避けながらボーンマスターを追うことも可能だろう」

「それはありがたい話ではあるが……この地の統治はどうされるのだ」

「何も私こそが絶対君主というのではない。アスタロット、アリオク……私には志を共にする友人がいる。問題はない」

「……」

「だから──」

「……だからここに残れ、というのであれば、お断りだよ」

 今まさに口にしようとした言葉を先取りされた挙句、あまりにきっぱりと拒否されたベリアールが面食らう。

 サイガはそんな彼に改めて向き直ると、見覚えのある鋭さで言った。

「貴殿やリュウガらのように『今』を生きる者にとって、満足に戦えぬ俺は確かに足手まといであろう」

「……」

「だが俺にとて役目がある。もし、本当にこの身があの子らの枷となる時が来るならば、自刃も辞さぬ覚悟でここにおるのだ。──軽率な御決断は、どうか謹んで頂きたい」

 風の音も、遠い落雷の音も、何もかもが消えた……ような気がした。

 どのくらいの時間、無言で見つめ合ったのだろう。永遠がすぎたかの錯覚を経て、ベリアールは長く息を吐く。

 ああ、そうだった──。彼は落胆するどころか、胸が痺れるほどの切なさをもって思った。このかたは、こういうかたなのだ。だからこそ、私は──。

 沈黙をどのように介したのかはわからない。けれどサイガは、無言のうちにベリアールが自分の意見を撤回したことを察したらしく、厳しい表情を崩してすまなそうに笑った。

「せっかくの御厚意を無下にして、申し訳ない」

「……いや」ベリアールはやっとのことで言った。「私のほうこそ浅はかだったよ」

 このサイガという者は、単なる興味や自己満足で実力の伴わぬ危険は冒さない。それがここまでやってきている時点で、相応の覚悟があるのは判り切ったことであった。戦えないという最大の欠点を考慮するあまり、それを踏みにじるように安易な保護に走ろうとした自分が悪いのだ。ベリアールは謝罪したいくらいの気分だった。

 ならば──。彼は考えを改めた。

「サイガ殿。あなたのその術、完成させられるやもしれん」

「なにっ?」サイガは身を乗り出した。「それは誠か、ベリアール殿」

「あの子供らが目を覚ましたら、すべてお話ししよう。ボーンマスターが向かった地のこと、マステリオン復活の方法、……そして『聖獣合身』のことを」

「聖獣、合身……?」

「古代においてあなたがた『魔人』の原型となった、人間と聖獣──守護獣との融合術のことだ。この構成を応用すれば、あなたとリュウガの繋がりも、あるいは完全なものになるかもしれない」

 唖然としていたサイガの表情が見る間に変わっていく。それはまるで、この頭上にある分厚い雲間から太陽が現れたかのようだった。

「恩に着るぞ、ベリアール殿」

 すでに様々なものを確信した、気の強い顔でサイガは言った。

 あくまで可能性の話をしたに過ぎなかったのだが、彼にとってはもう術は完成したも同然のようだ。

 ……否。彼はきっと、話を聞けばすぐにも完成させてしまうのだ。おそらく光の戦士らが聖獣合身を修得するより、ずっと早く。

(お変わりないな、あなたは)

 嬉しかった。

 どんなことを考えるよりも先に、ただ純粋に、ベリアールはとても嬉しかった。心をその想いが満たしたとき、小さく笑みが零れる。

 胸の底から込み上げるような感情。こんな心持ちになったのは何百年ぶりであろうか。

「なんだ」と、サイガがそんな彼を見て、新発見でもしたように言った。「笑えるのではないか、貴殿も」

「当たり前だ」ベリアールは言った。「私を何とお思いか」

「いや、すまぬ」そんなつもりは、とサイガは苦笑いした。「失礼したな」

「お解りいただければよろしい。──さあ、中へお戻りを。この地の魔物どもに、あなたの『光』は眩しすぎる」

 伸ばした腕をサイガの背に添わせると、ベリアールは宮殿の中へと彼を導いていった。

 鼻先を掠める澄んだ風の匂いに、身を洗われるような思いで──。




                            To be contonued...(2016/06/25)