天地



 武神真幻が自らの手で表座敷への障子を開いたとき、その者は、相手の来訪をすでに察していたかのように佇んでいた。

「……ほう」

 真摯といってもいい、しかし鋭く強いまなざしを向けてくる客人の姿に、真幻が感嘆の一声をもらす。彼がそのまま座敷へ入っていくと、それに続いたのは閑那と岳人の二人のみ。火牙刀と嵐丸もここに同行こそしてはいたが、障子の外での待機を命じられた。

「ご機嫌麗しゅう、『瑠璃色の君』」

 そんなことを言いながら何の警戒もなくその者へ歩み寄った岳人が、彼の手を取り上げて挨拶をする。

 機嫌がいいのは貴様のほうだろうが、というか昨晩と呼び方が違うぞ──閑那は呆れきってそう思っていたが、真幻の手前もあってそんな感情はおくびにも出さない。

 客人もまた、慣れているのかそれとも何とも思っていないのか、まったく表情を動かすことなく、もちろんというべきか岳人に応えもしなかった。こいつが敵の刺客であったなら、この一瞬で岳人は腕を持っていかれたかもしれない。

「さあて?」

 畳の上にどっかりと腰を下ろした真幻が座るよう仕草で示すと、客人もまたすっと座す。

「口を利かん上、名や出身を示せるものもない」真幻は言った。「挙句、如何なる問いにも意思表示すらせん……とりあえず便宜上、俺たちァあんたを『瑠璃』と呼ぶぞ」

 確かめるように訊ねてはみるが、やはり答えはない。抵抗の意思が見えない以上、真幻は彼の無言を『好きにしろ』と受け取ることにした。

「瑠璃。知っていることかもしれんが、今この鬼龍の地は統一戦争の真っ只中だ」真幻は言った。「ほどなく龍上の剣真か、あるいはこの武神の真幻かが鬼龍王となる、雌雄を決する最後の戦が開かれるだろう」

「……」

「こんな時勢だ。この際だからはっきり言わせてもらうが、俺たちにゃあ、あんたみたいな得体の知れねえモンに割いてる時間はねえ。だからと言って何の確証もなく、敵将の密偵かも知れねえあんたを解放することはできん。──そこで、だ」

 シャリッ。唐突に真幻が片膝を立て、腰の刀を抜いた。

 岳人と閑那がぎょっと驚き、障子の外で中の様子を窺っていた火牙刀と嵐丸が、命令も忘れて慌てて踏み込む。

「お待ちください、御館様っ」

「うるせえ、黙って見てろ!」

 嵐丸の制止をぴしゃりと断ち切ると、真幻は正面から動きもしない相手の襟を掴んで引き上げ、その喉元に刃を押し当てて低く言った。

「言え、おまえはどこからの使いだ? 国内でないならどこの国から来た? どうしても言わんつもりなら、この場で斬り捨てるだけだぞ」

「……」

「で きねえと思うなよ。こちとらここまで来るのに、大勢の家臣の忠誠を犠牲にしてきてンだ。あいつらに報いるためにも、ここで躓かされるワケにはいかねえ」真幻は尚も言う。「てめえをのっぺらぼうのダルマにしてうち捨てるだけでも、各国の密偵どもへの『見せしめ』にはなる。……さて、もう一回聞くぜ?」

 しん……、と、座敷が静まり返った。

「てめえは、『敵』か?」

 四天王は息をのみ、まさかまさかとばかりに真幻の次の行動に注視する。

 ことに彼の客人とは歳の近い火牙刀と嵐丸に至っては、次の一瞬までが永遠のようで気が気ではなかった。

 近衛の兵までもが主君を諫めるタイミングを見失った数秒間。

 ──返事は、ない。

 ただ。

「……クッ」

 堪え切れぬ、とばかりに真幻が笑みをもらした。

「ハッハァ、面白ぇ奴だ!」

 豪快に笑った真幻に突き放すように解放されて、その者は数歩の後退こそしたがその場に踏みとどまる。

「お、御館様……」閑那が恐る恐ると言った。「いったい何を……?」

「見てみろ、閑那」

 真幻に示されるまま、閑那は今しがた離れたばかりの彼の者へ目をやる。

 彼は、立っていた。

 真幻の迫真の脅しに対し、怯えもなく、恐れもしていないのは、そのすらりとした立ち姿だけで見て取れる。彼は一同がこの座敷に入ったときからこの時に至るまで、一切として表情どころか顔色すら変えてはいないのだ。

「俺の直感だが、この御仁は『敵』じゃねえ」その者を見つめ、真幻は言い切った。「しかも大した胆力だ。鬼人にはねえその角……もしかしたらあんた、龍神の使いかもしれねえな?」

「そ、それでは──」嵐丸が先を急かすようにも訊ねる。

「不問だ」真幻は答えた。「間もなく鬼龍が統一されようかというこの時に、俺のところへ龍神から使いが来ようたぁ縁起がいいじゃねえか! ……火牙刀、嵐丸。こいつのことはおまえらに任せるぞ」

「え──」いきなり言われた火牙刀が目をぱちくりさせる。

「外に居ろって言ったのに、血相変えて飛び込んで来やがって」面白そうに真幻は言った。「命令違反の罰だ」

「あ──」火牙刀は自然と自分の口元が緩むのを感じ、それを隠すようにバッと頭を下げた。「ありがとうございます、御館様!」

 そんな家臣の様子を見て、とうとう真幻は堪え切れなくなったように大笑いした。

「罰を受けて礼なんか言ってんじゃねえよ、ばか野郎が!」



「私の目を欺けるとでも思ったのか、おまえたち!」

 広く大きく豪奢な天界の神殿で、ひときわ響く怒声を放ったのはメビウスだ。

 彼の眼前には少々気まずそうな顔をしたライセンとシオン、そしてどうにもふてぶてしく視線を逸らすクオンがいる。

「まさか変化程度の術で、神力も持たないくせに神に化けようなどよく考えたものだ」メビウスはクオンを睨んで言った。よく見てみると、クオンがまとっている装束は、この神殿の主である神羅聖龍神サイガのものだ。「おまけにサイガが新世界へ降りてしまった事実を、報告するでなく誤魔化してはぐらかそうなど言語道断だ!」

 そう──。

 民による完全自治を期し、新世界への絶対不可侵を誓い合った八人の神羅神。だが、サイガはその誓約をやぶって新世界へと発ってしまった。そして間が悪いことに、主神たる彼が留守にしている今、数十年ぶりにこの神殿へメビウスが帰還したのである。

「私は」クオンは言った。「留守を預かる者として主に成り代わり、務めを全うしようとしただけのことだ」

「そのやり口に問題があると言っているのだろうが!」

 あろうことかクオンは変化の術でサイガの姿を借り、メビウスを出迎えたのだ。

 当たり前のことだが一発でバレた。それでもクオンはその行動に出た理由を黙秘しようとし、長きに渡るライセンとシオンの説得でようやく真相が割れた、というわけである。

 神羅神の誓約を作った本人であるメビウスが、ここまでコケにされて怒らないはずがない。

「ちょっとクオン、やめなさいっ」と、クオン側にシオンが割って入り、

「師匠、お待ちください」と、メビウス側にライセンが立ち入る。「同胞の無礼は、同期を生きた私が代わってお詫び致します。クオンはただ、禁をやぶったサイガにあなたの怒りが向くことを恐れ、隠そうとしてしまったのです」

「そうよメビウス」シオンは言った。「あなただって小さい頃、どこからか子猫を拾ってきて、私たちに隠して世話しようとしたことがあったでしょ!?」

 うっ。痛いところを衝かれたメビウスが一瞬言葉に詰まった。

 ヒトが持つ「好意」という感情は、非常に厄介で、かつ面倒なものだということは、自分自身が家族や友人を数多く持って重々理解しているつもりでいる。ことに強く想いを寄せる者に対して、ヒトは時にバカバカしいほど愚かな挙動に出るものだ。

 よく考えればメビウスを相手に到底隠し通せるはずもないのにシラを切ろうとしたクオンも、その部類だと言ってしまっていいだろう。

 途方もなく幼稚なのだが、それは理性だけで語ることのできぬ、本能に近しく誰もが成し得る防衛反応なのだ。

 ちっ、と小さく舌打ちしたメビウスは、目の前の聖龍幹部らに背を向けると、大広間から立ち去ろうとした。

「師匠っ」ライセンが言った。「どちらへ行かれるのです」

「決まっている」振り向きもせずメビウスは言った。「サイガを連れ戻してくる」

「待てメビウス!」クオンが言った。「貴様はサイガ様のお気持ちが解らんのか!?」

「感情だけで、我らが誓約に物を言うな!!」

 錫杖でガツンと床を叩き、メビウスは一喝した。

 神の役目と機能は感情ではない。稀に起こる好機の偶然を、人は奇跡だ神秘だ神の愛だと称するが、それはあまりにも人間目線の感情論でしかない。神の機構──摂理とは、もっと冷徹かつ無機質なものである。

 サイガがそんな神としてでなく、いち個人としての正義感という感情に「負けて」新世界へお節介をやきに行ったというのなら、メビウスには神の機構の一端を担う者として、禁を犯した者を制裁する責任があるのだ。

 広間を出たところで、ふとその脚が停まる。

「……」

 彼の前には、リュウガが居た。

 クオンは言った。サイガが新世界へ降りてしまったのは、リュウガさえ知らないうちのことであったと。本当に誰にも何も告げることなく、腹心のクオンにのみ「新世界へ行く」という目的だけを告げて、サイガは出て行ってしまったのだ。

 双方ともに何も言わない……かと思われた一瞬後、メビウスのほうが彼から視線を外し、鼻で笑うような仕草を見せた。

「サイガの伴侶が聞いて呆れるな。おまえらが繋いでいたのは身体だけだったということか」

 ──聞くに堪えない罵詈雑言、というやつだ。

 師を追って廊下へ飛び出したライセンは、ふたりの間にばちりと火花が散ったようにさえ感じたのだが、リュウガが怒るわけでもなく、そしてメビウスは追い打ちをかけることもなく、言いたいことだけ言ってさっさと立ち去ってしまっていた。

「……すまない、リュウガ」ライセンは言った。

「師匠が詫びられることではありません」リュウガは答えた。「それに、あいつが怒る気持ちは、俺もよく解っているつもりです」

「──サイガは、かつて皇魔との戦時にも戦線を離れ、単独で敵の本拠地へ乗り込んだ『前科』がある」ライセンは沈痛に、取り繕うように言った。「聖龍の政権を執っていた頃からそうだったが、あの子はあまり自分の考えをヒトに話そうとはしない。気が付けばいつも、突然行動を起こして周囲を戸惑わせ、だからあの子の王としての資格を問う者も多かった」

「……」

「おまえも突然のことで何かしら思う処はあるかもしれない。……だがあの子には、神羅神としての禁をやぶるつもりなど毛頭ないはずだ。新世界へ向かったことにも、きっと何か別の理由がある。そこは解って──」

「言われなくとも、解っていますよ」

 言い終わるより早く、当然だと言わんばかりの答えを受けてほっとしたライセンが伏せていた目を上げると、リュウガは思いのほか痛ましい表情を浮かべていた。

「リュウガ……」

 それは自分に何も告げなかったサイガへの失望ではない。

 何も告げられなかったことへの、伴侶としての落胆でもない。

 誰にも何も告げられぬほど思い詰めてしまった、愛しいサイガへの悲哀なのだ。

 リュウガは解っていたはずだった。

 見ていたはずだった。

 永劫の平和を手に入れたこの完全なる世界に在ってもなお、彼が心から笑ったことは一度もなかったのだと──。




                              To be contonued...(2017/01/21)