純真なる


    1


『どこだ……!』

 闇の身動ぎが、激しい地響きを轟かせる。

『どこにいる、あなた…!』

「まずい、崩壊するぞっ」

「クリエール様にご報告を…っ」

「駄目です! クリエール様は今、光の戦士たちの援護に…!」

 周囲に居た天使たちが冷や汗を流して後退し、今がどうしようもない事態であることを口々にわめく。

 無理だったのだ──。ある天使は思った。

 数年前、地上はおろか魔界までも滅ぼしかねなかった最悪の魔神を浄化し、転生させようなどと絵空事であったのだ。

 彼らの主神である創造神クリエールは、魔界で何を見てきたのか彼の魔神に深い慈悲をかけ、再構成を行なうに当たって「彼の者は必ずや、正しく生まれ変わることができる」と言い切っていた。

 何らかの根拠があってのことだろうと、彼らは主神を信じて作業に当たった。

 しかし結果は見ての通りだ。

 浄化を促すはずのクリスタルの内側で、そんな効果など意に介さず爆発的に成長した闇は今まさに外界へと侵食を広げようとしている。

『どこだっ!!』

 バギンッ。内側からの猛烈な圧力に負け、クリスタルが全身に裂傷を負う。

 次の一撃で、それは粉々にはじけ飛ぶだろう。そして、閉じ込められていた闇は世界に破壊と絶望を撒き散らすのだ。

 クリエール様──最期の瞬間、天使は祈った。我々は、ここまでのようです──。


 破壊神デストールが繰り出した槍の一閃が、中空に居たショウを捉えようとして、リュウガはその間に割って入った。

「うおおおぉぉぉっ!!」

 渾身の咆哮と共に、ひび割れた光牙刀が神の刃を受け止める。ありったけの魔力を注がれた刀身は火花を散らして持ち堪えているが、すでにリュウガからの供給が一瞬でも途切れれば脆くも砕け散るぎりぎりのところであった。

「すみません、リュウガッ!」

 我にかえったショウが飛び退くと同時に、リュウガも身をひるがえして退避する。

 けれど次の瞬間。

 あらぬ方向から飛んできた破壊神の別なる手が、ショウを叩き飛ばしていた。

「ショウッ!?」

 まさかと思い気を取られたリュウガは、間を置かず飛来した剣の一振りに防御が間に合わず、腹をまともに斬り裂かれて吹っ飛ばされた。

 どっ、とバウンドした拍子にヘリオスとの合身が解けた。傷口から中身が零れ落ちそうな嫌な危機感に襲われ、彼は本能的に腹を庇って転がる。

「ぐっ……うう……」

 起き上がろうと身動ぎするだけで、腹部の傷が血を噴くのが判った。

 相当な深手だ。しかし、そんなリュウガを支援にやってくる仲間は誰も居ない。防御と回復に優れたシズクは真っ先に狙われ、それを庇ったタイガと共に倒れた。そして今、リュウガを支援していたショウまでも邪魔だとばかりに落とされてしまったのだ。

「時は来た、光の戦士よ」塔ほどにも立ち塞がる神は、無慈悲に言った。「貴様らの死をもって、地上界の者どもへ神の怒りを示す時が」

 このままでは総崩れだ、全員殺される……そんなふうに意識したのは何年ぶりのことだろう。──否、リュウガはほんのすこし前にも、同じようにして『死』の足音を感じて背筋が凍りつく恐怖に見舞われたことがあった。

 メビウスと相討ちになり、倒れたオウキを抱き留めた時。

 彼の吐息が、身体がゆっくりと冷えゆくのを感じた時。

 リュウガは全霊の魔力を込めて回復魔法を施したし、オウキを引き取った聖母らの腕はリュウガより確かだ。事前処置は充分で、受け入れ側の準備も整っていた。もはや死ぬはずがないと確信できるレベルの環境は整っている。

 しかし、それでも。

(……なんで…っ)

 身を起こすことすら叶わず、噛みしめた奥歯がギリリと音を立てる。

 どうして戦うことになるのか。

 何故、争うはめになるのか。

 自分の探求心のために神々を欺いたメビウスの所業にしてもそう。

 メビウスひとりの反旗に業を煮やし、全人類の掃討に乗り出した破壊神にしてもそう。

 どうしてどいつもこいつもこう極端で、自分のことしか考えていないのか。

 巻き込まれる側の迷惑も犠牲も苦悩も嘆きもかえりみることなく、自分の気が晴れなければ気が済まない輩の何と多いことか。神でさえこんな思考回路だから、この世から争いが消えず、自分ら光の戦士のような戦いの象徴がいつまでも必要とされるのだ。

 いい加減にしてほしい。

 やるなら本人同士で好きにやってくれ。

 罪だ罰だ粛正だ、聞こえのいい言葉を体よく振りかざして、結局やってることはただの虐殺じゃないか。憂さ晴らしも大概にしろよ──。

(このままじゃ、あんたの世界が……)

 オレがもっと強ければ、誰もこんなふうに傷付くことはなかった。オレにもっと力があれば、神とさえ渡り合える力があれば──。

『──そうだ』

 その声が聞こえたとき、リュウガはハッと鋭く覚醒した。

 それは彼が望んだ声ではなかった。

 もう聞こえるはずのない声。心の奥底、光も届かぬ無意識の海へ落ちる一滴のように、本能を呼び覚ます闇の囁きだ。

『神などこの世に必要ない。おまえに必要なものはただひとつ、──破壊だ』


 壊せ。何もかも。


 ガッ! リュウガの手が、叩き付ける勢いで雷迅刀を地に突き立てた。

 巨大な槍でその胴を貫かんと構えた神が何事かと注視した一瞬、彼はすでにその眼前に跳躍している。

 激突の瞬間、音速の衝撃波が駆け抜けるほどの力で繰り出された一閃が、破壊神がまとう漆黒の仮面を叩き割った。そればかりに留まらず、すでに切れ味など無いに等しい二刀の刃が、砕けた仮面の奥に覗く神の首をも狙う。

「くっ…!?」

 虫を払うように動いた神の手に叩かれれば、それだけで致命傷になることは理解しているのだろう。リュウガは素早く神の喉元より飛び退き、離れたところへ着地する。

 ──だが。

「グ、ゥウ……グルルルッ」

 敵対の意志を通り越した狂気の牙を剥き、リュウガは神を見上げていた。

 一目見ただけでそれとわかる異常。死への苦痛と恐怖でついに狂ったかと思ったがそうではない。深淵のごとく黒ずむその目には覚えがある。

 あれはそう、まるで皇魔のようではないか。

(クリエールめ、まさか魔神の更生に失敗したか!?)

「ガアアアァァッ!!」

 凄まじい咆哮を上げてリュウガが再び跳ぶ。ゴミのように雷迅刀を投げ捨てた手に、黄金色をした一角の槍が出現する。

 それまで戦士らを圧倒するばかりであった神が、ここに来て防御に回った。槍の三叉で繰り出される突きを受け止め、撃ち込まれる強烈な電撃を神力で拡散させる。

 だがそのとき、ただでさえ破壊神に全霊の勢いで注ぎ込まれていた雷の魔力が増長し、より激しい電光となってリュウガの身体より撃ち出された。それらは神の巨体の各所を撃ち抜くだけにおさまらず、仲間らが瀕死の状態で倒れた地にすら降り注いで破壊を撒き散らす。

「……ふ、ふふ、ククッ」リュウガの口元が歪み、笑った。「アハハハハハ、アーッハハハハ!!」

 腹の底から込み上げる、愉悦の哄笑が響き渡る。

 戦うためでも守るためでもなく、何にも囚われず何にも構うことなく、純粋に壊すために、殺すために莫大な魔力を解放する歓喜が少年を支配していた。

(この小僧、やはり魔神に魅入られている)

 神は異常の正体を察する。

 しかしわからない。クリエールが更生に失敗した魔神が復活してしまったというのなら、光の戦士憎さにこの場に乱入して来ることこそあっても、戦士らの筆頭であるリュウガに入り込み、あまつさえこうして『加勢』しようなどおよそ考えられない。

 何か理由があるはずだ。

 魔神とリュウガを、これほどまでに『同調』させる何かが──。


    2


(ちがう……)

 深く沈み込んだ闇の底で、己の身体が跳び回るのを他人事のように感じながらリュウガは思った。

(ちがう。オレが欲しいのは、こんな力じゃない)

『いいや、この力だよ。リュウガ』

 一寸先も見えなかった暗闇の奥から、ぬぅっと金色の大きな腕が伸びてきてリュウガを包む。上下も左右もわからない浮遊感だけが全身を支配する虚無の中で、そうやって抱き留められてようやく彼は自分の居場所を見つけたような気がした。

『愚行を重ねて繰り返す人類、身勝手な神々……おまえは、おまえを取り巻くすべてに嫌気がさしている』

 そうかもしれない。

 でも──。リュウガは目を閉じる。

『ならば、世界など要らない。何もかも壊して、何もかも殺して、ここで私と共に眠りにつこう。誰からも、何からも縛られぬふたりだけの世界で……』

 それもいいのかもしれない。

 だけど──。リュウガは目を開いた。

「それでもオレは……この世界を守りたいんだ」

『私は』声は同調するように言った。『この世界を壊したいのだ』

 どうして?
 まるで誰かにそう問われたかのように、ふたりはそのとき、まったく同じ言葉を同時に放っていた。


 サイガが愛した世界だから──。


『……くだらない』魔神は相手の言葉を切り捨てた。『かつてこの地の者どもは、サイガから数多のものを奪ってきた。国に、地に、人に縛り、あのかたの自由を喰らい尽してきた。私は今こそすべてを破壊して、真にあのかたを解き放つ!』

「違う」リュウガは言った。「ヒトは本来、そうやって未来を創っていくものなんだ。独りで永遠みたいな時間を生きられる、おまえらの尺度で物を言うな」

『それこそおまえたち人間の尺度ではないのかね、聖龍の末裔』

「……なに?」

『仮にサイガが「ヒト」としての有様に忠実に生きたとして、そうして創られたはずの「今」はどうなのだ』

「それは…っ」息をのむように、リュウガは絶句する。

『争いは絶えず、人は神すらも欺き、そして神は人を見捨てた。今、地上では秒単位で今も誰かが死に続けている。サイガが短い生涯をかけて健気に守り抜き、ひたむきに作り上げてきたものは、すべてこんなバカバカしい終焉に繋がるものであったのだ』

「……っ」リュウガはうつむき、奥歯を噛む。激しい感情を噛み殺すように。

『調和を謳い、平和を築いたように見えて、何もかもかりそめだったのだよ。──現に今、地上に生きる者のどの程度がサイガの名や姿を覚えている? あのかたの遺した言葉や戦いの歴史を、どれだけの者が知っている? あのかたはもう、我らの内にしか居られぬのだ』

「……」

『もはやこの世に守られる意味はない』魔神は強調して言った。『リュウガ。サイガの愛に誰も応えなかったこの世界には、あのかたの血を継ぐおまえの手で裁きの火を落とし、神々をも皆殺しにして終わらせてやることがせめてもの慈悲なのだ』

 リュウガに反応は見られない。しんと静まり返った闇の中、目を伏せてじっと沈黙を守っている。

『私と共に征こう』闇は誘う。『おまえの内に眠るその「光」に、私ならばもう一度「姿」を与えることができる。この閉じた世界の中でこれからずっと、私とおまえで、あのかたを愛していこうではないか』

「…………あぁ……っ」

 と、リュウガが声をもらした。

 同意でもなければ、否定でもない。

 強いて称するならば、獣のそれにも近い、低い唸りだ。

 肩口を震わせ、拳を握り締めて、顔を上げたリュウガの目には純粋な怒りがみなぎる。

「ああもう、うるさいっ! いい加減にしろよ!!」

 激昂し、少年は絞り出すように叫ぶ。

  しかし今しがた魔神が述べた言葉は、ほとんどが的確に現状を捉えた正論とも呼ぶべき事実の羅列だ。この期に及んで「人はまだやり直せる」などと説得力のない理想論を掲げ、その怒りをもって魔神に力ずくの刃を向けようというのならリュウガもそれまでの存在。この魔神の本質である『暴力』と『殺戮』の支配から逃れることは、もう永遠にできない。

 そして魔神は、すでに最初からリュウガをその程度の存在と決めつけていた。だから感情を煽り、徹底的に事実を突き付けて反論の余地を奪い、剥き出しの感情に訴えるより他にない状況にまで追い込んだのだ。

 さあ来い、リュウガ──。魔神はリュウガから攻撃が飛ぶのを、千秋の想いで待ち侘びた。おまえが魔力を解放した瞬間が最後、その内に眠るあなたの力ごと、魂を喰らい尽してくれる──。

 そんなふうに相手を確定的に値踏みしきっていたから、次にリュウガが叫んだ言葉は、魔神にとってあまりに意外なものとなった。

「オレだって、できるもんならそうしたいよ! それができないから、守るしかないんじゃないか!!」


『──なに?』

 思わず、魔神は先を促すように訊ねてしまった。

「おまえはいいよ!」リュウガは言った。「血も立場も一族もない! 別の世界からいきなりやってきて『あなたが好きです』『あなたのために世界を壊します』って平然と言えて、サイガの感情を独り占めにしてさ!! おまけに何もしなくても向こうから会いに来てくれて、最後には『この手で殺す』か『その手に殺される』かで終われるんだ! なんだよそれ、最ッ高じゃないか!!」

『…………』

「何回好きだって言えた? 愛してるって何回言えた? 感情の乗った声で、何回名前を呼んでもらえた?」高ぶる感情に声を引きつらせ、少年は言う。「サイガの心も身体も傷付けて、倒されて封印されて、寿命が尽きるまで聖龍石を抱き続けてもらえて、それでもまだ足りないっていうのか、いい加減にしろよ!!」

 いくら言葉にしても足りないほど、彼は魔神のことが羨ましくて堪らなかった。

 何のためらいもなく、善も悪も考えず、あまつさえ相手の意志までも無視して、自分の思うままに『愛』を表現できたこの魔神が。

 できるものなら自分だってそうしたい。何も考えず求めるまま愛しい者を攫い、抵抗するなら組み敷いて、気が済むまで想いの丈を打ち込みたい。嘆きであろうが怒りであろうが、そのとき彼が自分に向けるであろうあらゆる感情が欲しい。そう、いっそ失望でさえも。

 でも。

 でもそれは、いまオレたちをこんな状況に追い込んだメビウスや神々と、どう違う──?
 一部の者がそれと同じことをした結果が今の状況なのだ。そしてリュウガは、すでに数年前、そんな身勝手に巻き込まれた者が背負わされる苦痛と悲しみを身をもって経験している。

 誰しも心に抱く『理想』や己の有様を描いた『イメージ』があり、自覚するしないに関わらずそれに沿って生きている。そこに無い、望まれぬ支配や行為の強行は、意図せずとも強い反発を生む。わかりきったことではないか。

「オレにはできない」

 リュウガは改めて言った。

 そんな自分本位で身勝手極まりないことはできない。

 もしもリュウガが本当に世界を壊す日が来るとしたら、それは──。

『……何故、できない?』魔神はぽつりと訊ねた。

「だってそうだろ!」今更聞くなとばかりにリュウガは叫んだ。「サイガが遺した想いは、この世界そのものなんだから!!」

 ──魔神は何も返さなかった。まるで絶句でもしたように。

「千年もかかったんだぞ」少年はそう言って、己の身を抱いた。「千年かかって、やっとオレに繋がったんだ。この髪も目も、血も、みんなサイガからもらったものだ。サイガが世界を守って、育ててくれたから、オレは生まれることができたんだ」

 彼はもう知っている。

 何も知らず、『彼ら』の時代を神話程度にしか捉えていない者たちとは違う。『彼ら』が確かに在ったことを、その存在の上に自分が成り立っていることを、リュウガはもう知っているのだ。

「土地も、人も、国も、みんなサイガの気持ちが入ってる。オレの存在はサイガが生きた証明だ。オレが全部諦めて、全部壊してしまったら、あのひとが死ぬのとおんなじだ。──なあ?」と、リュウガは魔神が潜む闇を見上げた。「おまえもそう思ったから、オレをここへ呼び込んだんだろ!?」

 魔神は反論しなかった。──否、できなかった。

 自分が真に求めたものが、世界の破壊などではなかったことを見抜かれて。

 彼が何より欲しかったのは、サイガが大切に育んできた想いの宿る確かな具現。彼によく似た、そして彼が遺した光龍の力を、未だ発現させることなく宿したままの、リュウガ自身であった。

 そんなリュウガさえもこの場で死してしまうことで、サイガの微かな残り香までも消えてしまうことが恐ろしくて。だから魔神はこの場へ飛び込んだのだ。

 本意はどうあれ、彼を『守る』ために。

「今、この世界の誰もサイガの想いに応えてないなんて、そんなこと知るか」

 は、と魔神は我にかえったように少年を見た。

「誰もサイガの名前も姿も覚えてないなんて、どうだっていいだろ」

『……』

「それならオレが全部応えてやる!!」リュウガは叫んだ。「サイガがこの世界を愛していたことを知ってるのはオレだけでいい! そんな世界を守って、サイガの想いに応えるのは、オレだけでいいっ!!」


    3


 そのとき、光が疾った。

 リュウガの身体がぼうっと金色の薄膜に包まれたかと思えば、それは一息のうちに彼の額に刻まれた聖龍の紋へと集束し、爆ぜる。

 闇が吹き払われ、それまで虚ろに漂っていた四肢の感覚が戻ってくる。リュウガは荒廃した天界の戦場、破壊神の眼前で今まさにその額を撃ち抜こうかというところで我にかえった。

(だめだ、撃つな!!)

 解放されかかった自分の莫大な魔力を、咄嗟に総動員させた理性で押し留める。

 しかし破壊の電撃は、破壊神を撃つことこそなかったものの行き場を失って暴発し、リュウガの腕に激しい裂傷と熱傷を刻んだ。

「うあっ!!」

「目覚めたか、リュウガ!」

 破裂に弾かれ、吹き飛ぶ彼を受け止めたのはヘリオスだ。

 まさか──。間一髪で命を繋ぎ止めた破壊神は目を疑った。まさかあの小僧、自力で魔神の洗脳を破ったのか──。

 同時に彼は気付いた。金色の麒麟に抱き留められた少年の額に在った古き紋が、うっすらと淡い光をまとって形を変えていることに。そしてそれが、かつて千年前に魔王と対峙し、輝く光をもって其を打ち倒した魔人の子と同じものであったことに。

 狂気にはしった精神の内側で、リュウガが何を見てきたのかは知れない。

 しかしそれは、紛れもない光龍の印の発現なのだった。

『まさか、まさかそんな、有り得んっ!!』

 叫んだのは破壊神ではなかった。

 光に追い出されるようにリュウガから弾き出された闇が集束し、動揺もあらわに事態を否定する。

『光龍の力は「正義」を行使する力のはず!』魔神の影は叫んだ。『このガキに応えるわけがない!!』

 魔神はリュウガの心の底に潜り込み、その真意を、その本能を、剥き出しの魂の意志をすべて見てきた。だからこそ言える。今の状況は、戦乱を憂い平和を願った、いわば正義の意志で同じ力を目覚めさせたサイガの時とはまったく違っていると。

 リュウガが示した意志とは、見返りを求めるでもなく想いを広めるでもなく、何より孤独であることすらも厭わず、むしろ自分だけが知るならばそれすら優越とする至上の独占欲。

 古来よりひたむきな愛は度々美談とされてきたが、こいつのそれはそんな小奇麗なものでは絶対に無い。他人が何と思おうが感じようがどうでもいい究極の身勝手。誰しもが躊躇する一線を容易く跳び越える、狂気の盲進だ。それなのに、何故──。

「──魔神よ。おまえはひとつ勘違いをしている」

 言ったのはヘリオスだった。

「『光龍の印』とは、そもそもからして『正義の証』などではない」

「えっ?」

 思わず声をあげて麒麟を見やったのはリュウガ本人であった。この事態を受けて誰よりも驚いていたのは彼自身だったのだ。

「見るがいい……」

 囁くように優しく語りかけたヘリオスの身体が黄金色の光を発した。

 同時に、瓦礫の中から仲間たちと同じ象徴色に彩られた守護獣らが現れ、中空へと浮き上がる。

「リュウガよ! この姿こそ私の本来の姿だ!!」

 聖獣合身をするように実体を失い、色を宿した光に変わった獣たちが、ヘリオスであったものへと集結し、融け合う。

 太陽ほどにも眩い輝きが純白の翼を広げ、長い尾をしならせる。出現したのは神の身の丈をも越える、光輪を持つ黄金龍であった。

『──我が名は、コウリュウ』龍は言った。『創造神クリエールに仕えし、神の守護獣なり』

「神の……守護獣?」リュウガは唖然と言った。

『リュウガ。あなたとサイガが抱いた「光龍の印」とは、私と同調した証。部族の垣根を越え、ヒトとしての境界をも超えてこの世を寵愛し、守護せんとする意志の証なのだ』

 そう──。破壊神も、魔神も知っている。

 女神の守護獣とは、女神のみを守護するのではない。彼女が作り上げ、また彼女が慈悲を注ぐ世界をも彼女の一部として等しく愛し、守護することを使命とする。かつて魔神が魔王としてこの世を侵略した旧き時代、この龍は女神の意志に従って自らを五つの力に分割し、人間と交わって世界に散らばった。

 しかし存在こそ分かたれども、コウリュウの魂は大気がごとくあまねく世界を包み、のちに各地で栄えた魔人らの本能的な意志の基盤──『世界の調和を守る』という概念へ変わった。

 光龍の印とは、その概念を体現する者である証。龍の分身である五つの力をも先導する強き愛に目覚めた者、超越者の証明なのだ。

『……ふ、っふふふふ』

 無音を保っていた闇が震え、笑った。

『ふははははははは!! そうか、それがおまえの愛なのか、リュウガ!!』

 それこそ心の底からわきあがるような、歓喜の笑い声であった。

『深淵の闇である私と同調するばかりでなく、至高の光である神にまで認められるその激情! 心地好いぞ……実に小気味好いガキよ!!』

 サイガの居ない世界に再生された絶望に駆られるまま、彼の忘れ形見であるリュウガを操って神までも皆殺しにしてやろうと思っていたのが嘘のように晴れやかだ。そうか、このガキはサイガの忘れ形見などではなかったのだ。こいつは私をも内包する凶獣、サイガという存在に魂までも冒された狂者であったのだ──。

 リュウガの叫びは身勝手以外の何物でもない。それは、どこの誰がどのように取り繕っても変わらない事実だ。

 だがもし、その意志が世界の命運をも左右したなら。

 きっと後世の者らは口を揃えて言うだろう。

 彼の意志こそが、『世界の意志』であったのだと。

 これほど気分が好いのは何千──否、何万年ぶりであろう。かつて愛しい者にその爪を突き立て、溢れる鮮血を啜った恍惚をも凌駕する高揚が闇を満たしてやまない。

 ……しかし。

「今更そんなものが何になる!」

 叫んだのは破壊神だった。怒りに満ちた三叉を振り上げ、リュウガ目掛けて打ち下ろす。

「如何なる意志に開眼しようと、貴様はここで死ぬ! 愚かな人類の先駆けとしてな!!」

 ガン! と鈍い衝撃音。

 破壊神が繰り出した刃は、割って入った白き神が手にした錘によって食い止められていた。

「違います、デストール。彼こそが最後の光明。ヒトの可能性の体現……救世主ではありませんか」

 白き神は女の声で言った。極めて大型の機械神のような出で立ちをした彼女は、神力で編み上げた鎧をまとう創造神クリエールだ。

「穢れてしまったのは私たちです」彼女は言った。「人間が、その生の短さゆえに起こすあやまちを……生きるがために抱く自然な欲望を穢れと称し、疎み蔑むようになってしまった私たちこそが」

「愚かな…何故人間の味方をする、クリエール!」

 破壊神は怒りをあらわに叫んだ。

 人間である光の戦士らを天界に招き入れ要らぬ戦火を拡大させたばかりか、この期に及んで光龍の印を発現させたリュウガを救世主などとほざくなど愚の骨頂だ。

 さらに魔神の更生に失敗した身の上で、これ以上の妄言を繰り返すならば愛想も尽きようもの。自分と対になる同等の神として丁重に扱ってきたつもりであったが、もはや情けも容赦も必要あるまい。

 リュウガを殺して地上に投げ落としたあとで、魔神ともどもこの破壊神が無に帰してくれよう──彼女の錘を弾き、彼が意を決したところで、ズズンと地響きを立てて着地した女神が言った。

「コウリュウ、征きなさい。新たな主のもとへ……新たな神の下へ!」


    4


『リュウガ! 今こそあなたは私と合神し、ヒトを超えた存在に昇華するのだ!!』

 六枚もの白き翼を広げた黄金龍が宣じる。

 神獣との融合、と言ってしまうと大層なことのように聞こえるが何のことはない。これまで幾度となくやってきた聖獣合身の応用である。光龍の印によって相性は証明され、意志もすでに同調している。あとはリュウガが踏み出すだけだ。

「させはしない! 貴様のような者を、神に上げてなるものか!!」

「違います! 彼のような強き者だからこそ、この世に必要なのです!!」

 激高をもって放たれる裁きの雷を、立ち塞がる女神がその身で受け止め、打ち払う。

 だがこのとき。一刻も早く力を獲得し、破壊神の怒りを挫かねばならぬ今、彼は視線を上げている。

 立つ地の荒廃ぶりに見合わぬ、壮大なる蒼穹を。

 そこにたゆたう、薄雲のような深淵の闇を。

「おまえも来い」リュウガは言った。

『いいだろう』魔神は答える。

 舞い降りた黄金龍が少年を光の繭で包み、惹き寄せられた闇がそれを染め上げる。

 リュウガにとって、魔神は初めから敵などではなかった。

 おまえが居たからオレはここに在るんだ。あの日サイガに出逢えたのも、ともに旅ができたのも、光龍の力を譲り受けることができたのも。何もかもおまえがサイガを愛してくれたおかげだ。

 そうだ。オレが、あのひとを愛するようになったことさえも──。

 魔神の存在は自分の原点。それを認識した今のリュウガにとって、この闇は討つべき存在でなければ敵対すべき相手でもない。向かい合い、あるいは背を任せられる友と呼べよう。

 魔神もまた、ようやく理解している。数年前、自分が敗れた理由がサイガを愛したことに在るとされた真意に。

 そう……私はきっかけを作ってしまった。サイガを望み、焦がれるあまりにあのかたを作り上げてしまったこの愛が、より深く、より激しい想いを呼び覚ましてしまった。私がリュウガに敗れたのは必然。何故ならそれは、行き過ぎたことによる『自滅』に他ならなかったのだから──。

 ならば、私とおまえは互いの移し身。私に成せぬ想いをおまえが成すなら、おまえが抱けぬ愛を私が抱こう。私の言葉はおまえの言葉、おまえの行為は私の願い。おまえと私は今、表裏一体となる。

 ともに征こう──。誓われる愛よりも確かな意志が手を取り合う。

(……サイガ)

 閉じた瞳の裏側で、リュウガは誓う。

 今からオレが放つ光は世界に広がり、満たすだろう。

 強すぎる光は要らぬ影を生み、新たな闇の目覚めとなる。

 人々は嘆くかもしれない。──でも、それでいいんだ。

(守ってみせるよ)

 光を受け継ぐ者が成す正義を。

 生まれた闇に染まる者の悪意を。

 あなたが遺したこの世に生きるすべての命を。

 あなたが犠牲にした自由を、あなたに代わって謳歌する者たちの営みを。


 あなたは今、ここにいる。


「光あれ!!」

 目を開き産声を上げた光明神に従い、彼の具現である光と影は世界に拡散した。




                     To be contonued in LastBattle (2016/07/30)