逢魔時 1 ──空を見ていた。 ここがどこなのか、傍に誰が居たのか……そんなこと、意識しなくなってどのくらい過ぎただろう。 夜が明けると安堵した。 ゆっくりと頭上に広がっていく荘厳な蒼に、何度、手を伸ばしたか知れない。 陽が高くなって、色が澄み渡っていくのを見ているのが好きだった。 けれど──。 西側から音もなく黄が迫り、赤みを帯びた金色の夕闇が迫るころ、言い知れぬ不安と、憎悪にも近い感情が胸を焦がした。 夕暮れが嫌いだった。 あの濃い色どもは、一刻と待たず頭上の蒼を攫っていく。素晴らしい光景だなどと人々はありがたがって見入るけれど、そんなものはまやかしだ。 あれは闇を呼ぶ色。 あれはすべてを奪う色。 あんなにも鮮やかであった蒼は瞬く間にその色を奪われて、暗く、無言の闇へと飲まれていく。 羨ましい──。そう思い、泣くこともあった。 蒼を蝕み、堕として共に闇へ変わっていける、あの黄昏になりたいと切に願う。魔物が潜むと言われる逢魔時、自分がその魔物に成り代われるならばと、どれほど思い描いたろう。 夜は怖い。 ひとりは淋しい。 だから早く眠りたいのに、それができない。 騒ぐ心は頭の芯を覚醒させたまま、小さな物音一つさえ鋭く捉えてやまない。 そうして闇を恐れるくせに、夜明けを見たがる。 もっとも闇の深い時間に起き出してきて東の空に焦がれ、白むそこに蒼が射すのを見つけてようやく眠れる。 でも……あまり長く寝ていたくはない。 明るい空を見ていたいから。 あの澄み渡る蒼を。 一瞬でも長く──。 「リュウガ様をお預かりしてひとつきになりますが、これ以上は、私では」 名のある寺の住職は、そう言ってライセンに頭を下げた。 「あのかたは何もお話しになりません。日がな一日、ぼんやりと空を見ておられるのみ。まるで、どこかに心をお忘れになってきたかのようで……」 「左様ですか……」 沈痛な思いでライセンは答える。 魔界での戦いを終えて戻ってからというもの、ふと気が付けばリュウガは空を見上げていた。 はじめは、呼びかければ振り向いた。すみません、と返事をした。けれど日を追うごとに彼がそうして空を見ている時間が増え、呼びかけへの反応が鈍くなっていく。 そしてある日、とうとう彼は沢に落ちて怪我をした。山を下りる際、木漏れ日に誘われるように視線を上げてしまったその拍子に。 叱っても諭してもさしたる変化が見られず、ついには怪我までして『悪化』の一途であったことから、ライセンは仕方なく、街の外れにある寺院へ彼を療養へ出した。 それが一ヵ月前の話だ。 「力及ばず、申し訳ございません」 「いいえ」ひれ伏す住職を押し留め、ライセンは言った。「こちらこそ、手間をおかけした」 一度、気が済むまで好きなようにさせてみようかという案だったのだが、この言われようではあまり効果がなかったと見える。 立ち去る住職をシオンが見送りに出て席を外すと、ライセンは、傍でずっと話を聞いていたオウキを振り向いた。 「……あの子の様子は聞いての通りだが」と、前置きをした。「本当に、引き取るつもりか?」 「──はい」噛みしめるような間を置いて、オウキは神妙に答える。 静養地として名の知れた寺の者でさえ匙を投げる状態のリュウガを、このオウキが引き取りたいと申し出てきたのはほんの数日前のことだ。 リュウガが公の場に姿を見せなくなったことを、ライセンら聖龍関係者は表向きに修行のためと銘打ち、中央にもそのように報告して了承を得てあった。なのに、いったいどこで真相を聞き付けたかあるいは察したか、事前の約束もなくやってきたこのオウキが先の旨を口にしたときには、さすがのライセンもギクリとしてしまったものだ。 ただ、魔界より戻った功績を認められ、ほどなく昇格を控えた彼は今が一番忙しい時期だ。後日やってくる住職より話を聞き、より詳しい状態を確かめてから考えたほうがいい──と念を押してあったのだが、気持ちは変わらないようだ。 「これからの私が在れるのは、ひとえにリュウガが居てくれたおかげです」オウキは沈痛に目を伏せ、懺悔でもするように言った。「私は……そんな彼を置いて、私だけが前に進むような真似はできません。他の子らもすでに旅立って久しい。もし許されるなら、私は、あの子に受けた恩を返したいのです」 魔界でどのようなことがあったのか、戦士たちは多くを語らなかった。いっそ口を閉ざしたと称してもいいくらいに。リュウガを除いた戦士らが帰還後ほどなく提出した報告書も極めて簡潔なもので、テラスでさえ「これでは何もわからない」と眉を寄せたくらいだ。 内に秘めるように、何かを守るように誰も何も言わなかった。けれどひとつだけ、彼らには誰が見ても明らかな変化がいくつかあった。 「……サイガが戻らなかったことに、何か関係があるのか?」 「…………」 ライセンの問いに、オウキは答えなかった。 自ら同伴を申し出て、彼らと共に旅立ったはずのサイガは帰ってこなかった。その代わりというようにリュウガに現れた聖龍の印──報告書には、「光龍帝はリュウガに其の力の総てを継承され、魔神討伐を見届けて光の中へ還られた」とある。 この詳細を、ライセンは一度リュウガに訊ねようとしたことがあった。 そのときのことを彼は克明に覚えている。息の根を捕らわれたように喉を詰まらせ、瞬く間に泣き崩れた少年の姿を。 その様子が、かつてサイガの崩御を共に看取った同志・クオンが見せたものとあまりにも似ていたものだから、ライセンは現状の事実と重ね合わせて魔界で彼らに何があったのか、おおよその察しをつけていた。改めて今なら確認できるかと思ったが、どうやら機は過ぎ去って久しかったようだ。 「わかったよ」 ライセンは言った。事情をすべて理解したというのではなく、彼らの間にだけある疎通に、自分が入る余地などないのだということを了承して。 「オウキ。あの子を頼む」 「言わずもがなです、ライセン様」 踏み入らぬ配慮に深く感謝を示し、オウキは頭を下げた。 やれやれ。二度もこうして、この言葉で愛弟子を手放すことになろうとは──。ライセンは相手に悟らせぬよう、ひそめた溜息を吐いた。 2 西の空がわずかに赤みを帯び、夕暮れの気配を報せている。 その男はちょうど、これから『仕事』に出るところだった。 向かう先は聖龍大陸の首都とも呼ばれる龍頭域、中央を除けば四大陸でも屈指の都。これから夜を迎え、数多の光に彩られる華やかな繁華街が彼の仕事場だ。 客となるのはそこを行き交う男女。一夜限りの行きずりであったり、あるいはたまの贅沢を楽しみにきた夫婦であったりする。時としてこれから女と派手に遊ぼうという若者に至るまで、彼らがこの男から買い付けるのは、そうした夜を心地好く彩るための媚薬であった。 数ある薬草の中でも、このような目的で精神を高揚させる効能を持つものは強い依存性や毒性のために栽培禁止の法や流通規制が敷かれており、まして薬剤として精製し販売するなどもってのほかである。この男はそれを知りながら、役人の目を掻い潜って違法な薬物を売り歩く密売人だった。 別にいいじゃねえか、一口で死ぬわけでもねえんだし──。相手によっては法外な値を吹っかけて大枚を得ながら、男は極めて軽い気持ちで頭の固い役人らを見下していた。 客たちだって買い付ける『薬』が毒物だなどと思ってはおらず、得られる効果を目くるめく愉しんでいる。誰も傷付いてはいない。自分が得る儲けはそんな快楽のまっとうな対価であって、不当なものでなどあるわけがない──それが彼の持論であった。 加工した薬剤を背負い、さて今日はどこに向かおうかと算用を巡らせながら山を下りてきたその男は、ある寺院の前を通りかかって、目に入った人物に気付き驚いて二度見した。 聖龍童子のリュウガだ。 まさかそんな、本物か──? 男は思わず立ち止まって相手を凝視した。 少年は万人に開かれた門の向こうで、回廊の縁側に座ってぼんやりと空を見ている。目付きはすこし虚ろだが、聖龍王家の紋が入った紫暗の襟巻をまとっているところを見るにどうやら本物らしい。 四大陸の各王の血を引く者らから成る『光の戦士』は、単独で中央への出入りを認められた特殊な権限を持ち、平常は公爵家にて公務に就いており人前に出ることはあまりない。中でも神羅連和国初代皇帝の正統な直系であるとともに現皇帝テラスとも四親等の血縁関係を持つこのリュウガは、その本拠が公爵家でなく大魔導ライセンのもとにあることからも解るとおり、極めて特出した地位にある者なのだった。 要するこの男のような身分の者では、姿を見ることさえ有り得ない相手ということだ。 「あ、あの……リュウガ様?」 そっと歩み寄り、男は声をかけていた。偶然見つけた稀有な存在を、もっと傍で見てみたくて。 しかしながら、返事がない。黄色かかった空を眺めたまま、リュウガは男の声など聞こえていない様子だった。 「如何されたのですか?」男はもう一度言った。「このようなところに、おひとりで」 と、ようやくリュウガに反応があった。 空から視線を下ろし、首を回して男の姿を捉える。ほんのすこし、目に映す程度に。 その赤い瞳と視線が交わったことを意識したとき、男は一気に嬉しくなった。相手は眠たそうにぼけた目をしていたけれど、確かに自分の声を聞き付けて自分を見たのだ。 「あなたは?」リュウガは言った。 「あ、こ、これは失礼を」未だ変声期に入っていないその声色は、顔立ちの幼さと相俟ってとても愛らしい──男は感嘆しながら答えた。「私は通りすがりの行商人でございます。先ほど門の外で、リュウガ様の御姿を拝見しましたもので……つい」 「はあ……?」 「私、感激しております。まさかこのような場所で、リュウガ様にお会いできようとは」 紛れもない本心で言っていた。 リュウガは男の高揚の意味が解らないように首を傾げ、はあそうなんですか、と適当な返事をする。だがそれはこの少年が自分の声をちゃんと聞いている証拠で、彼が自分に向けて言葉を放ってくれているのだと認識が深まる。 男は、まるで女のようにどきどきしていた。自分の子供ほどにも歳の違うリュウガを見て、ときめきのような感情を抑えられない。今まで子供なんてどこにでも居て飽きるほど見てきたはずだったのだが、思い返してみればこの男は、こんなふうに改まって子供と──否、『少年』と話したことなんか一度もなかった。 彼はリュウガに向き合った今この時になって初めて、『少年』に心惹かれる自分の性質に気付いてしまった。 「行商って」と、リュウガが、男が背負った木箱に目を留めて言った。「どんなものを扱っておられるのですか?」 「大したものではございませんが、強いて申し上げれば薬品の類いです。気持ちを落ち着かせたり、よく眠れるようにしたり……」 本当はほとんど真逆の効果のものばかりだが、男はさらりと嘘を交えて言った。相手の興味に応えて木箱を下ろし、中からひとつの包みを選び出すと開いて見せる。 それは小粒の砂糖菓子だ。薬の成分は苦みあるものが多いから、こうして強い甘味に混ぜ込むと摂取に抵抗が無くなるのである。全体的に売れ行きの良い……特に年端もいかぬ娘や女郎たちに人気が高い商品だった。 「リュウガ様も、おひとついかがですか? なに、毒ではありませんよ」 高ぶる気持ちを押し隠し、男はそれを少年に差し出した。見た目には本当にただの菓子だから、甘いものが嫌いだというもっともな理由がない限りは拒否はされまい。 国家に規制された違法な薬物を、国家が誇る高位の者に食わせることで法を否定したいだとか、そんなことは露ほども考えていなかった。 リュウガという少年への偏愛を意識したこの男は、試してみたくなったのだ。リュウガがこれを食えばどうなるのか。この薬にどれほどの効果があって、そして、そのあとに何ができるのか、を。 もとより法に触れる行ないをしてきた男に罪悪感はない。あるとすれば薄汚れた期待に満ちた下心だけだ。悪いことだと非難されるいわれはない、人を疑うことも知らずこんなところに居るこいつが悪いんだ──。 「では、すこしだけ……」 もともと興味を持っていたせいもあろう。リュウガはそう言っていくつかの粒をつまみ上げると口に入れてしまった。 本当はひとつだけで充分な効果があったのに、それを知らず、知らされず。 3 リュウガはあまり世間を知らないのか、傍に居座る商人を追い払おうとはせず、すこしピントはぼけていたけれど会話にのってきた。特に他の大陸の話や、古い伝承にまつわる祭事のことになると、相槌だけでなく質問もしてきたくらいだ。 男はあくびが出そうなつまらない問答を積極的にしながら、相手の様子に注意を払う。摂取量は大人の基準値をも超えていたから、効果が出れば目に見えて判るだろうと思って。 一刻ほど、そうして当たり障りのない世間話をしただろうか。陽が傾き夕闇がやってくる頃になって、リュウガに変化が見えた。 襟巻を緩め、疲れたように息を吐く。視線を下げる頬に朱が射しているのを見つけて、男はすかさず言った。 「どうかされましたか、リュウガ様」 「いえ……」 歯切れの悪い返事で目を逸らそうとした少年が、眩暈でも起こしたようにぐらりと傾いた。 素早く受け止めてやると、彼の身体は思った以上に熱を帯びている。自分の変調を理解しきれず困惑した表情を見せる目元は潤み、すぐに身を起こそうとしたのだろうが、男の身体に添えた手にはほとんど力が入っておらず指先が小さく震えていた。 「す、すみません。オレ──」甘い香りを含んだ吐息を整えきれず、リュウガが何か言おうとした。「今日はもう……うぁッ」 背に回した手にぐっと力を込めると、声を上ずらせた幼い身体が、弾かれたようにびくりと跳ねた。 いける──。明らか過ぎる反応を見せられてめちゃくちゃに嬉しくなった男は、そのままリュウガを建物の陰へ引きずり込んだ。逢魔時と呼ばれ忌まれるこの夕刻に出歩く近隣住民は居るまいが、それでも逸る気持ちに任せて通りに面したところでコトに及ぶような真似はしない。万一通報でもされたら堪ったものではないからだ。 「リュウガ様……い、今、楽にして差し上げますから」 男は回り込んだ裏手に猫の子一匹いないことを確かめると、リュウガを壁に押しつけ口付けをした。 「んぅっ」 少年がびくりと肩を震わせたのは、驚いたからか、それとも。 口内に染み出る媚薬の香りが鼻に抜けて、何とも言えず心地が好い。男は舌をねじ込み歯列をこじ開けて、リュウガの舌にしゃぶりついた。相手を押し退けようとしたのか伸びる手をいとも容易く払い除け、頭を掴んで逃れられないようにする。 指先を流れる髪と、まだ幼く細い肌の柔らかな感触が興奮を高めた。 「うぅ、ん……ふ、ぁ」角度を変える隙間から漏れる声には、わずかな戸惑いと艶めく色が見える。 抵抗する素振りがあまり見えないのは、自分が何をされているのか理解していないせいかもしれない。溶けた水あめのように甘く糸を引く舌や唇を舐って吸いながら、男の手は少年の身体をまさぐって下り、下腹に至ったところでぐっと力を込めた。 「あ、あッ!?」 高い声を上げ、リュウガは身体を竦めるように跳ねさせる。 そうして身震いをし、今まで停まっていたものを出し切るように長い吐息を吐くさまを、男は恍惚として間近で鑑賞した。 「おやぁ…もうイかれてしまったのですか」 「……ぇ…?」 まるで悪いことをしたところをからかうように言われるのに、リュウガはその言い回しの真意を理解できないのか反応が鈍かった。 何をされたのかも解っていなければ何が起こったのかも解っていない、ただ溢れるほどの快楽だけを漠然と享受する蕩けた表情。それはどう見ても初めての顔だ。 「でも、まだ足りないでしょう?」 ああ、なんと愛らしい──。無垢を汚す快感に興奮し息が早まるのを堪え切れず、男はリュウガの着衣を緩めると腰から手を突っ込んだ。内側を濡らす、今しがた彼が吐き出したばかりの蜜を指に絡ませて、奥まった秘所を探る。 「やっ、な、何を……っ」 「少々お待ちを、リュウガ様」逃れようとする少年を押さえ、男は逸る自分に言い聞かせるように言った。「もっと……もっと気持ちいいことを、たくさん教えて差し上げますから……」 「気持ちいい、こと…?」熱に浮かされながら、それでも興味ありげに少年は問う。 「そうですよ、ほら──」 思わずにやける顔を隠そうともせず、男は蜜を馴染ませたところに指を押し入れた。一度絶頂を越えて脱力していたこともあって、そこは慣れて緩んだように難なく男の指を迎え入れる。 「う…っあ」 リュウガがもどかしそうに身を捩らせると、そこが波立つように竦む。反応はどう見ても初めての異物を拒んでいるのに、男はその緩い締め付けを、リュウガが与えられた指を放すまいとしているようにしか見えなかった。 「リュウガ様。お判りになりますでしょう?」熱い肉壁を捏ねくりながら、男は訊ねる。「御自分がどうなっているか、よくご覧になってください……」 「う、……ん、っふ…」 吐息を震わせ、リュウガが言われるまま視線を下げる。どこか自意識を喪失して恍惚を帯びたその目元からは、着衣を下ろされ、見知らぬ男の指を深く咥え込む自分のそこをどのように思うのか窺い知れない。 ……ただ。 「あッ、は……うぅ…」 男の指が奥のほうを探り、突くように動くと、漏れる声が高く上ずった。また、身体の反応とは違ったタイミングで指を捕えるように締めたり、自ら腰を捩らせたりと、まるで確かめるようなことをする。 そして、男がまたぐっと奥の壁に指先を擦りつけたとき、とうとうリュウガは言った。 「や、ぁっ…そこ、ちがうっ」 覚えたての単語を口にする子供のように、少年は首を振る。初めこそエッと驚きはしたが、もしやと思って指で中をぐるりと探ってみる。と、指が届くぎりぎりの奥まったところで、コツリと爪の先に違う感触が触れた。 「うあっ!」びくんっ、と背を反らせてリュウガが跳ねる。「そこぉっ…それ、いいっ」 まさか求められるなど夢にも思っていなかった男の脳髄を、貫くような快感が突き抜けて理性を弾いた。 「リュ、リュウガ様っ」 花の香りに引き寄せられる虫さながらに逸る心のタガが外れ、彼は自分でも驚くほど乱暴にリュウガの脚をぐっと押し開いてのしかかった。 「やだあ、待ってっ」引き抜かれた指の感触を恋しがり、今から何をされるのかも知らないリュウガは今の続きを求める。「さっきのがいいっ」 「今スグ、もっといいものを挿れて差し上げますよ」 そう、今すぐ、今すぐに──下腹で出番を待ってうずうずしていた欲望の肉塊を引きずり出して、男はそれでリュウガの秘所を貫く。 ……つもりだった。 4 「貴様っ、そこで何をしているっ!」 落雷にも等しい怒声が飛び、今まさにリュウガを暴こうとしていた男がぴゃっと飛び上がった。 大半の性犯罪者は、この段階まで来ると他のことを考える余裕がなくあっさり捕まってくれるのだが、その男はもともと気の小さい性分だったらしい。声を聞き付けるやリュウガを放り出し、ネズミのような素早さで寺の裏手へ逃げてしまった。 「待て!!」場に駆けつけたオウキが声を飛ばすが、今更だ。「……ちっ」 彼は、本来ならば今夜リュウガを引き取るため、ここを訪れる予定であった。しかし昼間に住職から聞いた、夕暮れ時になると彼の心持ちが不安定になるという話が気にかかり、予定を繰り上げてやってきたのだ。 けれど住職は引き続く所用のため留守で、リュウガも、いつも表向きの回廊で空を見ているはずだからと聞いていたのに姿が見えない。中に引っ込んでいるのかと思って堂へ入ろうとしたとき、脇の陰で声がした。 そっと窺うように覗き込んで、オウキは見つけたのだ。 嫌がるリュウガにのしかかって、その身を開こうとしている狼藉者を。 「リュウガ、おい」 オウキは声をかけながら傍に屈み込み、相手の意識を確かめる。そのとき強い香水のように鼻をついた甘ったるい匂いがして、軽い眩暈がした。 なんだ、この匂いは──考えようとしたところで目を上げたリュウガと視線が合って、不意にぎくりとする。 「オウ…キ……?」 熱に潤んで期待に蕩けた、あからさまな劣情の眼差し。オウキはこれまでリュウガの様々な態度や表情を見てきたが、こればかりは初めてだ。 「リュウガ。おまえ──」 今の男に何をされた? その問いかけは最後まで言わせてもらえなかった。 やおら身を伸ばしたリュウガがオウキの首に抱きつき、口付けをした。 ただ触れるだけではない。相手がたまらず絶句した隙をついて、甘く粘ついた舌を滑り込ませて絡みついてくる。それだけに飽きたらず、ぐっと勢いをつけて舌に喰らいつこうとまでした。 ぴくり、と手が反応を示す。 「──リュウガッ」 危うく相手をかき抱いてしまいそうになって、オウキは今一歩のところで少年を引き剥がしていた。隙間でトロリと濃い糸を引く感触が、目覚めかける熱を煽る。 今でこそ諦めがついているとはいえ、この少年が全霊の想いを寄せた者はすでにいない。この現状に浅はかな期待を抱いてしまう自分を、オウキはこの一ヵ月ほどで幾度も窘めてきたのだ。 だというのに。 「オウキ……」そんな相手の苦心も葛藤も知る由なく、リュウガは言った。その切ない呼び声はこの上なく甘い。 何か毒物のようなものに精神を冒されていると察知するが、治療するにもリュウガに話を聞くにもここでは人目につきかねない。オウキは自分の上着で少年を包んで抱き上げると、境内の裏手にある蔵へ運び込んだ。 周囲に人目がないことを確かめながら、さっきの男を追って捕えねばならないところなのに、これでは自分のほうが狼藉目的の不審者のようではないか──内心にわきあがる何とも言えない自虐を、彼は無視した。 「う……ぅう、ん…ッ」 まとわせた上着を敷く形で床にリュウガを下ろすと、少年はもどかしそうに身動ぎする。肩口に絡んだ手は、どうしても放してくれそうにない。 仕方ない、少しなら──。 「…リュウガ」オウキは少し控えめに言った。「イきたいのか?」 「い……? なに…?」 「出したくてつらいんだろう?」 するりと腹に手を滑らせて、熱の跡が残るそこを緩く握り込んで訊ねる。そうだと言うなら、ほんの少し力を込めてやるだけで望みを叶えてやれると思って。 「ち、がう…っ」リュウガは首を振ると、オウキを引き寄せるようにしがみついて言った。「違う、中がいいっ」 「……」返す言葉が浮かばず、絶句したような形になる沈黙が気まずい。 「ねえオウキ、触ってよ」リュウガは懇願した。「もうずっと中がジンジンして、熱くておかしくなりそうなんだ」 いや、おまえはもう充分おかしくなってるよ──すでに気がフレたようなリュウガには伝えても仕方のないことだが、その返答を心に留めるのも何とも虚しい。 ……終わったら、自分もシズクやショウのように解毒の魔法を修得しておこう──。そんなことを沈痛に思って、彼は腹を決めた。 先ほど男にそうされたように脚が押し開かれたかと思えば、そこに指とは違った何かが押し当てられた。 ぬるりと濡れたその熱は、オウキが一呼吸置くのを待って、ゆっくりとリュウガの内に侵入してくる。 「う、あッ、あ……っ!」 入口の肉とそれがじわじわと擦れ合うたび、腰から背筋にゾクゾクと快感が走り抜け、リュウガは声を高ぶらせる。こんな熱量も質量も感じたことはなかったくせに、彼は、自分の身体がずっとそれを待っていたのだと理解していた。 視線を下げて見れば、オウキと自分が繋がっていく様がわずかに見える。リュウガは息を弾ませながらその光景を見つめた。 「……あまり見るようなものじゃないぞ」オウキがぽつりと言った。 「いいんだ…っ、見てたい、だけ……」 ──そう、リュウガは見てみたかった。確かめたかった。 せいぜい口付けまでしか知らなかった彼は、その続きを知りたかった。高まり、熱くなったこの身体をどうするのが正解なのか、それを知る機会をずっと伺っていたのだ。 身体を揺すり、反応を見ながらオウキが身を進めると、押し込まれていた肉が引き出されて淡い色を覗かせ、また中へねじ込まれていくのが見える。そんな光景と身体に走る悦とを重ね合わせ、リュウガはどうなれば心地が好いのかを知ろうとした。 「オウキ…っ」リュウガは言った。「もっと、もっと奥に……」 「ああ」 わかっていると言うように答え、オウキが身を一押しした。 「ん、あぁ…」ぐっと押し上げる圧力が内壁を伝って最奥を刺激し、何とも言えない痺れを走らせる。心地好さに満たされるまま身震いするリュウガは、それがこの行為で得られる最高の快楽なのだと認識していた。 でも、そうではなかったことをすぐに思い知らされる。 たとえ事前に片鱗を知っていても、そして来るのがわかっていたとしても、次の瞬間、ずんと身体を奥深く突き上げたオウキのそれは、経験したこともない初めての一瞬をもたらす。 「あ…ッ」びくっ、と、息を詰まらせたリュウガの身体が今までにない反応を見せた。「あああぁ──っ!!」 それまでの、甘く身をざわめかせた波とは決定的に違う。まるで自分を一気に突き落とすような衝撃に襲われた少年は弾みで熱を吐き、刹那に理性を焼き切られてそれと知らず喜悦の叫びを上げた。 そんな様子を見せられて声まで聞かされては、オウキとてもう、この行為に及んだもともとの大義名分を見失う。 リュウガが望んだから、求められたからなどと、そんな言葉はごまかしだ。自分はリュウガを抱きたいと思ったからここへ連れ込み、犯したいと思ったからこうして身体を繋いだ。一旦落ち着かせようなどと、言い訳もいいところではないか。 「リュウガ…っ」 ついに感情が理性をやぶり、呼び声が切なく口をつく。 「あァッ、う、あッ…オ、ウキぃっ」何度も何度も奥を暴かれ、そのたびに絶頂に近く意識をまで奪われそうなリュウガが縋る。 「…届いてるか、リュウガ」相手を追い立てながら、判り切ったことを今更のように訊ねる。 「ぅんっ、来てるっ…ずっと当たってるうぅっ」がくがくと身を震わせて少年は夢中で答えた。「あぁあッ、あ、ま、また……っ」 「イきそう、か?」自分が与える快楽にひたすら溺れるリュウガが愛おしくて、オウキは腹の底に込み上げる熱に任せて律動を速めていく。 「イくっ、もうイッちゃ…っあ、ああああぁぁぁぁ──っ」 そもそも幾度とない絶頂に流され、堪えるなどという観念を失くして久しいリュウガが達する。どろどろに蕩けた内壁が引きつるざわめきと、何より恍惚に崩れる彼の声と表情に強く刺激されて、程なくしてオウキの熱も爆ぜた。 「あ、うあ…っ」終わったかと思えば奥に流れ込んできた熱い感触に、リュウガは余韻を出し切るように身体を震わせる。 ああ、オウキもイッてる。中で出されるのもスゴク気持ちいい。……そうか、こうやってふたりで気持ちよくなるものなんだ──。 もっと、もっと色んなことを知りたい。オウキが知っているのならもっと教えてほしい。けれど残念ながら、今の絶頂を最後にぐたりと果てた身体は電池が切れたようにだるく動かせない。逸る気持ちとは裏腹に、体力に限界が来ているらしい。 高いところに設置された明かり取りの窓から見える空はすでに暗く、外ではとっくに陽が暮れて夜が始まっている。けれど彼は、時に狂乱してまで拒んでいたはずのその時間の到来に、気付いてもいなかった。 「リュウガ……大丈夫か?」 「ん……」 そっと伸びる手が頬を撫でるのが心地好く、何より安堵する。このひとつきでこれほど安らいだ気持ちになったことはなくて、リュウガはその手に甘えるようにすり寄り、意識をまどろみの沼に引き込まれていく。 このまま、離さないで──。乞うた言葉が声に乗ったか、もうわからない。 未だ全身に残る甘い痺れの余韻に包まれて眠ったリュウガは、翌日の昼過ぎまで目覚めることはなかったという。 終幕(2016/07/23) |